しんぶん赤旗

お問い合わせ

日本共産党

赤旗電子版の購読はこちら 赤旗電子版の購読はこちら
このエントリーをはてなブックマークに追加

2022年4月12日(火)

核抑止力にしがみつく勢力包囲する参院選に

比例チーム5人全員と山添勝利を

東京党演説会 田村副委員長訴え

 10日に東京都千代田区で開かれた日本共産党演説会での、田村智子副委員長・参院比例予定候補の決意表明(全文)を紹介します。


写真

(写真)訴える田村智子副委員長・参院比例予定候補=10日、東京都千代田区

 比例代表で3期目をめざします。

 2010年に国会に送り出していただき、命を守る政治を、生きることを応援する政治へと一心不乱に取り組んできました。はじめてのテレビ中継が入った予算委員会は11年3月のこと。日産自動車で計画されていた雇い止め問題を取り上げました。しかもその対象はすべて女性でした。女性は非正規が当たり前、この問題を国会の中でずっととりあげ続けたいという思いで臨んだ質問でもありました。

 ただ、そのころ今より共産党議員の数は少なくて、予算委員会の議席は1議席。隣に座ってパネルを出してくれる先輩議員もいない。隣は空席。緊張いっぱいの私を支えたのは当事者のみなさんの思いと共に、リーマン・ショック以降、派遣切り、非正規切りとたたかってきた先輩議員たちの質問でした。

 その一人が、にひそうへいさんです。誇りとやりがいをもって会社を支えてきた労働者を使い捨てる、それは会社も日本の経済も危うくすると熱情あふれる追及は、候補者時代から私を幾度となく奮い立たせてくれました。人を大切にする政治を、その思いは私の国会議員としての原点でもあります。

 この質問の翌日、東日本大震災が起きました。何としても被災地にたどりつくんだという決意で、その日のうちに東京を出発した調査団の一人が大門みきしさんでした。現地の商工会議所にも足しげく通い、支援策がなければつくるんだと、政府も他党も巻き込んで、グループ補助金などを実現した。この時の経験は、コロナ危機での党議員団の活動の礎ともなり、減収補填(ほてん)を拒否する政府を現実に動かす力となって発揮されてきました。

 そして6年前、比例の議席にも次世代の新人が加わりました。原発事故は終わっていない、国と東京電力の責任を静かなる怒りを込めて追及する、いわぶち友さん、原発再稼働を許すな、原発ゼロへと、市民の皆さんとの共同を広げた党議員団に、さらに大きな力をみなぎらせました。

 災害対策特別委員会を担当し豪雨災害など全国で多発する大規模災害の現場に駆け付けて、住民のみなさんとともに支援策を求めているのが、たけだ良介さんです。異常気象をもたらす気候危機問題で、論戦の先頭にも立っています。

 比例代表は、私を含めこの5人がチームとなって挑む選挙です。東京選挙区の山添拓さんを含め、誰一人欠けることなく議席を得てこそ、日本共産党国会議員団は論戦にも活動にもさらに磨きをかけることができるのです(拍手)。全国で650万、東京で100万の得票でどうか5人の比例チーム全員の議席を勝ち取らせてください。どうぞよろしくお願い致します。(大きな拍手)

 今度の選挙は、私にとって日本共産党員としての初心にもかかわる選挙となってきました。ロシアのウクライナ侵略、しかも核兵器を使うと言う脅しまでする。

 10代の頃、原爆が怖くて、『はだしのゲン』や記録写真から目をそらす自分をひきょう者だと思い悩んでいました。高校の修学旅行で広島の原爆資料館を訪ね、がれきと溶け合ってしまった人の骨の前で動けなくなりました。これほどむごいことが起き、今も被爆者の方々が苦しんでいる、なのに核兵器が増え続ける。人類の未来に、10代の私は絶望していました。

 そのとき核兵器は廃絶できると、日本共産党が国内外で運動に取り組んでいることを知り、目の前が開ける思いで反核平和の運動に足を踏み出しました。1980年代半ばから、私たちが被爆者のみなさん、幅広い市民のみなさんとともに呼びかけた、核兵器全面禁止・廃絶の国際署名は21世紀の今日、核兵器禁止条約として実を結び、国際社会の希望となっています。その時にロシアの核の脅しに対して、なぜ“核兵器をなくせ”と言わないのか、「核共有」などという議論がなぜ国会で行われるのか。核抑止力にしがみつき、核共有をあおる勢力を今度の参議院選挙で何としても包囲しなければなりません。

 私は人生をかけて、核兵器廃絶を実現させていきます。憲法9条の力を生かした希望ある政治を全力で求めていきます。どうか東京選挙区で、2期目の山添拓さんを必ず国会に押し上げていただきたい。比例代表で私、田村智子を、そして5人のチームを必ず国会で思う存分働かせていただきますことを、重ねて心からお願いして決意表明とします。


pageup