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多彩に旅案内

6月。新潟・妙高高原。おいしい旅は沖縄・那覇市で首里城を見学、沖縄料理。山梨・甲府市、武田信玄ゆかりの湯村温泉


好評です毎週水曜日の「つり」

7月は和歌山・日高川支流のアユ、北海道・小樽のヒラメ、東京湾のショウサイフグ、千葉・九十九里浜南端の五目釣りなどを予定


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15世紀初めから明治初期まで約500年、琉球国王の居城だった首里城。琉球石灰岩を積み上げた城壁は、曲線が美しい独特な琉球風。はるかに那覇や海が見渡せる

<6月 涼子のおいしい旅 那覇市/復元中の首里城見学 歴史あるお菓子 山盛り料理(記事を読む)>

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 6月の旅から紹介です。6日付は新潟・妙高高原を訪ねました。ミズバショウの咲く湿原で、水辺の景色を楽しみました。
 13日付のおいしい旅は沖縄・那覇市です。復元工事の真っただ中の首里城を見学し、第一牧志公設市場で沖縄料理をいただきました。
20日付は山梨・甲府市を歩きました。武田信玄ゆかりの湯村温泉や、名物のワインを満喫。渓谷美を誇る昇仙峡の自然を楽しみました。

5月 ツルシのぶらり探訪/熊本・合志市/ハンセン病を学ぶ 差別との闘い伝える資料館(記事を読む)>


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 釣りが大好きな赤旗応援団による釣行記を、日刊紙の水曜付と、日曜版に月1回掲載します。日刊紙は7月に和歌山・日高川支流のアユ、北海道・小樽のヒラメ、東京湾のショウサイフグ、千葉・九十九里浜南端の五目釣りなどを予定しています。
日曜版では、イラスト付きエッセイ「森越ハムの全力ゆる釣り日記」(毎月第4週)が好評連載中です。

<6月 つり アオリイカ 福井 小川漁港/衆目の中やりとり慎重 900~1300グラムを3杯(記事を読む)>

<5月 つり イサキ 島根 浜田沖/前週爆釣ポイント不調 移動先で好時合い(記事を読む)>

釣りたよりは「赤旗」日刊紙の地方版に掲載しています。


◎涼子のおいしい旅 那覇市/復元中の首里城見学 歴史あるお菓子 山盛り料理

正殿.jpg 沖縄県那覇市を歩きました。おいしい郷土の味も楽しみました。
 まずは首里城へ向かいます。4年前の正殿が全焼した光景は、テレビ画面越しでも衝撃でした。
 今は復元工事の真っ最中。大きな建物で覆われた正殿の建築現場では、作業風景が見られます。私が訪れた日には、屋根の骨組みが一望できました。完成後は屋根瓦に隠れてしまうので、貴重な見学体験です。
 正殿以外にも首里城は見どころ多数なので、ちょっと休憩。首里城茶屋で、伝統菓子とお茶をいただきました。中でも珍しいのは、ピーナツあん入り焼き菓子「クンペン」です。琉球王国で接待料理や祭祀(さいし)に用いられた、歴史あるお菓子です。
 高台にそびえる美しい首里城ですが、実は正殿などは過去に何度も焼失しています。先の沖縄戦でも、この一帯の地下に日本軍司令部があったため、米軍からの徹底的な攻撃で破壊されました。
 終戦後、がれきの中から石像などが見つけられては、トタン屋根の小屋の博物館に集められました。やがて首里城は復活。地元の方の歴史と文化への熱い思いを感じます。
 一方の街は、琉球王国時代から戦前まで中心地だった那覇港かいわいは、終戦後米軍に占領され基地にされました。そのため基地から外れた市の南寄りが復興拠点になりました。戦後、収容所暮らしの那覇市民のうち、まず陶芸の里・壺屋(つぼや)の職人や牧志の瓦職人などが戻り、食器や家を作り始めました。
 沖縄戦後初の興行認可映画館、アーニー・パイル国際劇場の開業で「国際通り」と名付けられた一本道は、まさに戦後復興の象徴で、今も観光客で大にぎわいです。その南側には、闇市をまとめた第一牧志公設市場や商店街が発達して、一大繁華街となりました。
 今も迷路のようなアーケード商店街や市場に興味しんしん。総菜店や飲食店も多く、地元の食生活が垣間見られるのです。
 私もこのへんの定食屋が大好きです。有名なゴーヤチャンプルーのほかに、同じウリ科の夏野菜・ヘチマ(ナーベラー)のみそ煮も沖縄では人気料理です。つるりとした食感でごはんが進みます。
 関東では高級鍋料理のすき焼きが沖縄では1人前ずつ深皿に盛られた日常的な煮物料理だったり、おでんにテビチ(豚足)が入っていたり。食文化の違いにびっくりしつつ、どんどん箸が進みます。
 何より「いっぱい食べて栄養つけてね」というお店の方の心意気も山盛り。これこそ沖縄の元気の源です。「くわっちーさびたん(ごちそうさまでした)」。
 5月で本土復帰52年目の沖縄県の旅は、いつもワクワク。首里城完成の頃にまた来ていっぱい食べます!
 南田涼子
 写真・南田乗太

【那覇市のおみやげ】
・お菓子―ちんすこう、クンペン、カーサームーチ(月桃の葉に包んだ餅)など伝統菓子のほか、紅芋を使った菓子も人気。専門店やみやげもの店などで販売
【交通】首里城へは、ゆいレール(沖縄都市モノレール)首里駅から徒歩で約15分
【問い合わせ】首里城については首里城公園管理センター 電話098(886)2020
(6月13日付)


◎ツルシのぶらり探訪/熊本・合志市/ハンセン病を学ぶ 差別との闘い伝える資料館

熊本.jpg 熊本県の合志(こうし)市を訪れました。熊本電鉄御代志(みよし)駅近くに、国立療養所菊池恵楓(けいふう)園があります。全国に13カ所あるハンセン病国立療養所の一つです。敷地の周囲は約4キロ。国内最大級のハンセン病療養所です。
 園内には、ハンセン病の歴史や入所者たちの差別と偏見とのたたかいを伝える、菊池恵楓園歴史資料館があります。まずガイダンス映像を視聴しました。映像が映し出されるコンクリートの壁は、逃走防止のために恵楓園を取り囲んでいた、高い塀の一部です。
 恵楓園の前身は、1909年にこの地に開設された九州癩(らい)療養所です。31年の癩予防法の制定後、強制隔離政策が強化されます。40年、本妙寺周辺(現・熊本市内)に住む、ハンセン病患者が一斉検挙され、全国の収容所に強制収容されます。41年に運営が国に移管し、国立療養所菊池恵楓園に改称されます。
 戦後、ハンセン病は特効薬プロミンによって治療可能になりましたが、53年のらい予防法により、国の間違った強制隔離政策が継続されます。全国の療養所入所者たちは団結し、激しい反対運動を展開します。
 このころ県内で差別事件が起きます。「菊池事件」はハンセン病患者が証拠不十分のまま逮捕され、死刑になった事件です。被告は菊池医療刑務支所に収容され、支所内の特別法廷で、非公開で裁かれました。歴史資料館には、医療刑務支所の看板と独房(復元)、支所北側の外塀に設置された鉄扉が展示されています。
 熊本市内の黒髪小学校のPTAが、菊池恵楓園入所者を親に持つ児童の入学に反対する事件も起きました。
 58年に入所者数は1734人とピークに達しますが、園内での結婚の条件としての断種や、人工妊娠中絶も強制されました。96年にらい予防法が廃止されますが、入所者の奪われた人生や自由はもどりません。
 2001年、熊本地裁で国の強制隔離政策を違憲とする判決が下されますが、03年には県内の黒川温泉のホテル(南小国町)が、恵楓園入所者の宿泊を拒否する事件が起きます。
 園内には、旧監禁室(復元)など、歴史的遺物があります。園内外を隔絶していたコンクリートの塀も、約400メートルにわたり残っています。
 24年4月現在、園内では127人(平均年齢87・4歳)が暮らしています。注目したのは、入所者たちの自治会活動です。文化活動など、その前向きな姿勢に瞠目(どうもく)しました。
 ツルシカズヒコ

【交通】国立療養所菊池恵楓園へは、熊本電鉄御代志駅から徒歩5分。熊本市内からタクシーで約40分、熊本空港からタクシーで約35分
【問い合わせ】菊池恵楓園歴史資料館 電話096(248)1136(月曜休館)
※新型コロナウイルス感染予防のため現在は旧監禁室などの見学・園内散策はできません
(5月30日付)


◎つり アオリイカ 福井 小川漁港/衆目の中やりとり慎重 900~1300グラムを3杯

つり.jpg 5月の大型連休明けから、福井県の若狭湾で春イカ(アオリイカ)が好調だと釣友から連絡が入り私は田植えを終えた5月17日に釣行しました。

 釣り場の若狭町小川漁港に向かう途中の小浜市内の釣り具店で、エサの生きアジを15匹購入、何と1匹220円でした。

 お昼に到着すると知り合いの釣友があちこちに。状況を聞くと、16日夜は強風と高波で厳しかったそうですが、17日は晴天で午後からは少しウネリが入るものの釣り可能で、明るいときでもイカは反応するとのことでした。

 午後4時に釣り開始。1人4メートル間隔。サオは1本から2本までです。最初のアタリは5時。でもイカが藻の中へ入り根掛かり。6時前に2回目のアタリ。今度は順調にイカが底を切り、ヤエンを投入しました。

 ところがイカに到着する前にヤエンが浮き藻に絡まれ、ハリ掛かりせず無念。その時、漂う浮き藻に何か白いイカらしき姿がありました。死んでいるのかと玉アミですくうと、多量の墨を吐き、ビックリしました。何かに襲われ足がほとんど切れたコウイカでした。狩りができずにおなかがすいて漂っていたのか。気の毒だが、いただきます。

 釣果は全体的に低調で7時に3回目のアタリがきました。みんなの注目の中で慎重にイカとやりとりしてイカを浮かせてヤエンを投入、今度はばっちりハリ掛かりして、1300グラムのアオリイカを釣り、安心しました。ここで夕食にしました。

 その後、10時すぎに4回目のアタリです。今度は隣の釣り人のサオを3本またいでアジを抱いていました。しかしまたもや根に入ったので、諦めてしばらくそのままで置いておくとイカがでてきました。幸いにも波止の近くだったので、糸絡みせずヤエンを投入して釣り上げました。

 朝マズメに期待して就寝。翌18日は、午前4時からの釣り開始です。空が白けてくるころに5回目のアタリがきました。ドキドキしながらイカとやりとりし、3杯目ゲット。釣り場はにぎやかになってきました。でもエサのアジも弱り、元気なアジは3匹、そのアジに最後の期待。"8時が時合い"と常連の釣友が話した通り、本当に8時に6回目のアタリ。慎重にヤエンを投入。ばっちりアワセを入れてハリ掛かりさせ玉アミ用意。ところが寸前でハリから外れ、無念のバラしでした。

 アジもなくなり、午前9時に終了。釣果は25~32センチ、900~1300グラムのアオリイカ3杯でした。
 京都・一原康男
(6月12日付)


◎つり イサキ 島根 浜田沖/前週爆釣ポイント不調 移動先で好時合い

つり2.jpg 4月7日、島根県浜田沖のイサキ釣りです。

 今冬、日本海は異常なしけ続きで、昨年12月から今年2月までの間の3カ月間は浜田漁港から遊漁船の出船はわずか4回、3月は出船なしでした。

 しかし、4月になった途端、なぎの日も続くようになりました。4月7日、「空席あり」の連絡を受けて、浜田漁港に着きました。

 イサキの本格シーズンは、5月中旬からですが、前週は爆釣だったという居着きのイサキ狙いで、乗り合い6人で午前11時に浜田漁港を出船しました。

 待望の日本海での釣りでしたので心も弾みます。

 それに他船が納竿(のうかん)する時間に出船していながら、"この船は釣れるポイントを必ず見つけてくれる"という安心感もあってか、みんなウキウキしながら談笑。1時間後、1級ポイントの高島海域に到着しました。ベタなぎの釣り日和ですが、この日は日曜日なのに、他の釣り船は1隻のみでした。

つりMAP.jpg 最初のポイントでは、1投目、2投目が不発でした。3投目、4投目で3人が釣れました。小潮など、他のポイントでは潮が動かなくても、必ず釣れる潮道の1級ポイントですが、大潮だけに渦も見られる早潮で、マキエが拡散して流れ去るようです。船長いわく「先週は入れ食いだった」とのことでした。船も、狙う魚群をすぐに通過して、操船が厳しすぎると判断してか、潮の緩いポイントへと移動しました。

 「水深30メートル、タナは15メートル付近」のアナウンスに驚きました。20メートルまで降ろして、マキエを3回降ろして待つと、強いアタリ。アワセると、力強い手ごたえがあり、海面まで間断なく強い引きです。"これぞイサキ釣りの魅力"と感触を楽しみながら、35センチのイサキを取り込みました。船上では、全員のサオが曲がり、「40センチ」「ダブル」の声が続く好時合いです。

 イサキはアワセのタイミングを気にしないで、タナさえ合えば十分楽しめます。時合いですから、取り込み→エサ付け→投入の手返しを急ぎながら、18尾となったところで、最初のポイントへ移動しました。いくら誘いを入れてもエサが残りました。

 また元のポイントへ。タナ15~18メートルで必ず釣れてきました。強烈なアタリがあり、小型電動リールでも止まることなく巻き上げて、船長のタモに収まったのは、87センチ7・2キログラムの大ダイでした。

 午後5時の納竿までに、36~43センチのイサキ36尾と大ダイ1尾でクーラーボックスは満タン、船中の釣果は180尾で、全員笑顔の釣行となりました。

 広島・望釣士
(5月22日付)

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