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2021年12月8日(水)

主張

対米英開戦80年

「戦争する国」への道を許さず

 対米英戦争に突入した1941年12月8日からきょうで80年です。中国大陸で侵略戦争を続けていた日本はこの日、当時イギリス領だったマレー半島コタバルとアメリカのハワイを奇襲しアジア・太平洋全域に戦争を拡大しました。45年8月に敗戦した日本の侵略戦争によって、日本国民とアジア諸国民のおびただしい命が奪われました。その戦争への深い反省の上に立って制定されたのが日本国憲法です。岸田文雄政権が前のめりになっている改憲策動は歴史への逆行です。日本を再び「戦争する国」にしてはなりません。

引き返せる局面はあった

 開戦80年の節目に、戦争を特集する新聞やテレビの企画、本の出版が相次いでいます。その一つが新書『太平洋戦争への道 1931―1941』です。NHKラジオが4年前に放送した番組をまとめたものです。「歴史探偵」と呼ばれた作家の半藤一利さん(今年1月死去)とノンフィクション作家の保阪正康さん、東京大学教授(日本近現代史)の加藤陽子さんが、対米英戦争に進む戦前日本の歩みを検証し、学ぶべき痛苦の教訓を語り合っています。

 「戦争は暗い顔で近づいてはこない」(加藤さん)、「命令一つで命を奪った軍事指導者の罪」(保阪さん)、「日本人よ、しっかりと勉強しよう」「引き返せる局面はあった」(半藤さん)。3人の言葉がそれぞれ印象に残ります。

 「戦争への道」にはいくつもの分岐点がありました。15年にわたる戦争の始まりとなった「満州事変」(31年)は、当時「満州」と呼ばれた中国東北部での権益拡大を狙った日本軍の謀略で起こされたものです。この時、日本の新聞は「満蒙」は「生命線」だともてはやし戦争をけしかけました。戦線を拡大する軍部の動きを政府は追認し、日本は「満州国」をでっちあげ、国際連盟から脱退しました。

 国際的に孤立した日本は、泥沼化した日中戦争を打開するために、東南アジアでの資源確保と領土拡張を企て、米英との戦争は不可避と準備を加速します。ドイツやイタリアのファシスト政権と三国同盟を締結(40年)したことが、対米英戦争へ突き進む重大な転機となりました。国家総動員法制定(38年)などで戦時体制を強化し、国民を戦争に駆り立てました。

 無謀な戦争は破局的な結果を招き、310万人以上の日本国民と2000万人を超すアジアの人々が犠牲になり、日本とアジアの国土は荒廃しました。戦争の傷痕はいまだにいえず、国内外の戦争被害者からは戦争責任を問う声が今も尽きません。

9条にもとづく政治こそ

 憲法前文に刻まれた、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」決意がいまこそ重要です。

 岸田政権のもとでの9条改憲と一体の大軍拡が、危険な局面を迎えています。9条に自衛隊を明記すれば、憲法の戦力不保持・交戦権否認の規定が空文化します。歴代政権が違憲としてきた「敵基地攻撃能力」の保有に向けた動きは、軍拡の悪循環をもたらすだけです。強硬論や敵対のエスカレートが戦争を招いた過ちを繰り返してはなりません。

 9条を守り生かす政治を実現するために、世論と運動を広げようではありませんか。


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