2024年11月24日(日)
きょうの潮流
医は仁術とは古来の格言です。300年以上も前に書かれた貝原益軒「養生訓」には「医は仁術なり。仁愛の心を本とし、人を救ふを以(もっ)て志とすべし」とあり、自分の利益のためにする職業ではないと諭しています▼戦前、わずか27歳と8カ月の生涯ながら、それを体現した医師がいました。民主的な医療運動の源流に加わり、「病院に行けないような人びとを助ける」ために奮闘した中島辰猪(たつい)です▼現在の愛媛・宇和島市で出生し千葉医科大に進学。地域の住民や労働者、農民らの命の支えとなった無産者医療運動に身を投じ、東京の青砥(あおと)や亀有、千葉北部の診療所で休む間もなく働きました▼生誕120年の今年は中島ゆかりの地で記念集会が開かれてきました。『「医療は万民のもの」を掲げ志なかばで斃(たお)れた医師 中島辰猪』を刊行した藤田廣登(ひろと)さんが講演に回り、遺族の資料提供によって新たに判明した事実や社会の矛盾とむきあい目覚めていく思想の過程を伝えています▼官憲が赤化村と標的にした農村で弾圧に抗する人たちを励ましていた中島は、無産者運動にかかわる大会に参加して検束されます。釈放直後、腹部の激痛で緊急手術をうけたものの重篤に。ところが強制退院させられ、苦しみながら命を落としました▼治安維持法下の見せしめのような死。しかし、その志と活動は無差別・平等の医療と福祉の実現をめざす戦後の民医連運動に受け継がれています。すべての人が等しく尊重される社会をめざす歩みのなかに刻まれて。