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2024年2月11日(日)

主張

「建国記念の日」

侵略に利用した歴史の直視を

 2月11日は「建国記念の日」です。もともと戦前の「紀元節」でした。明治政府が1873年、天皇の支配を権威づけるため、「日本書紀」の中の建国神話を基に、架空の人物・神武天皇が橿原宮(かしはらのみや)で即位した日としてつくったもので、科学的・歴史的根拠はありません。

宣戦布告の日程あわせ

 見過ごせないのは、戦前の天皇制政府が、国民に軍国主義を浸透させ、侵略戦争に動員するために「紀元節」を利用した事実です。

 今年2月は、1904年に日露戦争が開始されてから120年にあたります。日露戦争は、日本とロシアの両国が朝鮮半島と中国東北地方(満州)の利権をめぐって争った戦争でした。

 日本の連合艦隊は2月6日、軍事行動を開始し、韓国鎮海湾を制圧しました。ついで8日、陸軍が仁川に上陸を開始し、連合艦隊は旅順港外のロシア艦隊を攻撃しました。日露戦争はこうして始まりましたが、日本がロシアに宣戦布告したのは2月10日で、翌日の「紀元節」の新聞は日露開戦と緒戦の勝利を大きく報道しました。

 当時、日本に滞在していたドイツ人医師エルウィン・ベルツは、同年2月11日の日記にこう書いています。

 「今日は『紀元節』といって、二五六四年(!)の昔、日本最初の君主、神武天皇が即位した日であるとか。この日を利用して天皇は、対露宣戦を布告した」(菅沼竜太郎訳『ベルツの日記』)

 作家の田山花袋は、小説『田舎教師』に、この前後の様子を「日露開戦、八日の旅順と九日の仁川とは急電のように人々の耳を驚かした。紀元節の日には校門に日章旗が立てられ、講堂からはオルガンが聞(きこ)えた」と記しています。学校に子どもたちが集められ、「雲にそびゆる高千穂の」で始まる「紀元節」の歌を斉唱し、日本軍の緒戦の勝利を祝いました。

 日露戦争の開戦に伴い、日本は1904年8月、第1次日韓協約を締結させ、日本政府推薦の財政・外交顧問の任用を韓国政府に認めさせました。日露戦争終結後の05年11月には、第2次日韓協約で韓国から外交権を奪いました。さらに07年には韓国皇帝高宗を退位させ、第3次日韓協約を結んで韓国軍を解散し、司法権と警察権も握りました。その上で1910年、韓国を併合しました。

 日本政府は、朝鮮の人々を「天皇の民」とする皇民化政策を推進し、抗日運動を軍隊や警察の手で厳しく弾圧しました。日本国民には朝鮮人への差別意識が植えつけられ、それが関東大震災下の朝鮮人虐殺につながりました。

 日露戦争では日本の軍人・軍属9万人近くが戦死し、靖国神社に合祀(ごうし)されました。これ以降、靖国神社が国民の思想動員に大きな役割を果たしていきました。

憲法原則守り抜く決意

 今年1月、陸上自衛隊幹部による靖国神社集団参拝が明るみに出ました。憲法20条の政教分離原則に反し、侵略戦争を美化する靖国の歴史観の肯定につながる重大問題です。群馬県立公園内の朝鮮人追悼碑の強制撤去もおこなわれました。侵略戦争と植民地支配への反省を忘れ去った暴挙です。

 2月11日を機に、過去の歴史を直視し、憲法の平和原則と思想・信教・学問の自由を守り抜く決意を新たにしていきましょう。


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