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2023年10月31日(火)

きょう沖縄人民党合流50年

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(写真)沖縄人民党第17回大会で握手する、(左から)宮本顕治委員長(当時)と瀬長亀次郎沖縄人民党委員長(当時)=1973年4月14日

 県民が無権利状態に置かれた米軍占領下の沖縄で、弾圧に屈することなく圧政に立ち向かい、日本復帰を求めるたたかいの先頭に立った沖縄人民党が1973年、日本共産党に組織的合流をしてから31日で50年がたちます。

 沖縄人民党は、戦後の日本共産党が公然と活動できない条件のもと、ポツダム宣言の趣旨に沿った民主主義の確立をめざし、47年7月20日に創立しました。

 52年4月、沖縄などを日本から切り離したサンフランシスコ条約が発効。「米国民政府」発足当初の民政副長官を頂点とする支配体制が確立する中でも、人民党は唯一、米軍に忠誠を誓わなかったため、さまざまな弾圧にさらされました。

 54年には瀬長亀次郎書記長をはじめとする党幹部らが逮捕、投獄される人民党事件が起こりました。大弾圧にも屈せず、銃剣とブルドーザーで土地を強奪された住民の闘争の支援や、労働者の権利向上、県民の生活擁護に尽くして活動を続けました。

 復帰運動をめぐっては60年に結成された沖縄県祖国復帰協議会のもとに、統一戦線を発展させる立場で、沖縄社会大衆党(社大党)などと連携。共闘は、初の行政主席公選で屋良朝苗氏を勝利させるなど前進し、復帰を実現させる大きな力になりました。

 72年5月の日本への沖縄の施政権「返還」後は、同年7月の中央委員会総会で「科学的社会主義の党へ前進、発展すること」を決定。翌年10月31日に臨時党大会を開き、組織的合流を果たしました。


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