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2023年9月16日(土)

党創立101周年記念講演会 歴史に深く学び、つよく大きな党を

『日本共産党の百年』を語る

志位委員長が記念講演

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(写真)講演する志位和夫委員長=15日、党本部

 日本共産党は15日、党創立101周年記念講演会を党本部と全国をオンラインでつないで開催しました。志位和夫委員長が「歴史に深く学び、つよく大きな党を――『日本共産党の百年』を語る」と題して講演。7月に発表した党史『日本共産党の百年』そのものを主題に、戦前の不屈の活動、戦後の十数年、綱領路線確立以降のたたかいのそれぞれの時期を振り返って、日本共産党の試練に立ち向かう成長・発展史を縦横に語り、「歴史に深く学び、つよく大きな党をつくる仕事に新たな決意で取り組みましょう」と呼びかけました。記念講演は党本部会場から発信され、全国各地の視聴会場で多くの人が視聴し、ユーチューブだけでものべ3万3千人を超える視聴がありました。

 冒頭志位氏は、講演の強調点として「わが党が歴史の節々で直面した試練に対して、どういう姿勢で立ち向かい、どうやって自らを成長させていったか、『百年』史がそのことをどう描いているかに焦点をあててお話ししたい」と述べました。また、歴史への貢献と自己分析性という両面で、100年におよぶ一貫した党史を持つことの国際的意義を強調し、「党の自己改革の足跡についても講演のなかでふれていきたい」と語りました。

戦前の不屈の活動

迫害や弾圧に抗したたたかい

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(写真)志位和夫委員長の講演を聞く人たち=15日、党本部

 まずはじめは、『百年』史・第1章「日本共産党の創立と戦前の不屈の活動(1922~45年)」です。

 志位氏は、「わが党の戦前の歴史は、党創立のはじめから天皇制権力によるくりかえしの苛烈な迫害と弾圧を受け、これに命がけで抗しながら、自らの成長と発展のための努力を続けていった歴史であり、次の時代を準備する歴史的意義を持つものでした」と強調。その上で、戦前の党史を三つの区分に分けて語りました。

 第一の時期は、「党創立と初期の活動(1922~27年)」です。

 志位氏は、党が天皇絶対の専制政治をやめさせ、国民主権の政治をつくる民主主義革命の旗を掲げるなか、激しい弾圧に直面し、一部の人々の間で“解党を決める”誤りを犯しながらも、くじけずに党を再建し活動の本格的な前進をはかったと指摘。この時期の活動として、党が合法的に発行可能な新聞として創刊した「無産者新聞」が民主・平和の世論形成に大きな力を発揮したことも紹介し、「この取り組みは、党中央機関紙『赤旗』――今日の『しんぶん赤旗』の“前史”をなすものとして輝かしい歴史を刻みました」と強調しました。

 第二の時期は「“ここに日本共産党あり”の旗を掲げて(1927~35年)」です。

 志位氏は、この時期に、党が国民の目から隠されていたそれまでの状態を抜け出して、「権力の前には非公然だが、国民の前には“ここに日本共産党あり”という旗を公然と掲げて活動する」という方向に活動の大転換を図っていったと指摘。命がけで侵略戦争反対の旗を掲げた党の姿を語る中で、「天皇制権力の繰り返しの弾圧も、日本共産党をつぶすことはできず、2度の大弾圧をへた30年代初頭の時期に、党の政治的・社会的影響力は戦前で最大となり、驚くべき成長と発展を記録しました」と強調しました。

 さらに、この時代に日本共産党に参加した女性たちの不屈の青春について、飯島喜美のたたかいにもふれて紹介。「私たちは無数の先人たちの開拓と苦闘のうえに今日の日本共産党があることを決して忘れてはならないし、決して忘れません」と語りました。

 第三の時期は「次の時代を準備する不屈のたたかい(1935~45年)」です。

 志位氏は、天皇制権力による弾圧が残虐さを増し、党中央の組織的活動が中断に追い込まれたもとでも、党のたたかいは不屈に続けられ、『百年』史ではその全体を「戦後の新しい時代を準備する営み」と意義づけたと指摘。その一つとして、獄中にいた宮本顕治・宮本百合子夫妻の12年に及ぶたたかいを詳しく紹介しました。

戦後の十数年

大きな悲劇を未来への光へ

 次に志位氏は、『百年』史・第2章「戦後の十数年と日本共産党(1945~61年)」に話を進めました。

 志位氏は、この章の特徴は、日本軍国主義の敗北によって、党が合法政党として新たな奮闘を開始した45年から、綱領路線を確立した61年までを一つの章にまとめたことにあるとして、「そうすることで、この時期の“波瀾(はらん)万丈”とも呼ぶべき『たたかいの弁証法』がくっきりと浮き彫りになると考えました」と強調。党の不幸な分裂という党史上最大の危機である「50年問題」について、分裂を克服して統一を実現するたたかいの先頭に立った宮本顕治さんが後年「この大きな悲劇を未来への光ある序曲に転じることこそ、私たちの新しい生きがいだった」と語っていることを紹介し、「先人たちがいかにして党史上最大の悲劇を『未来への光ある序曲』に変えていったか。そのことに焦点をあてて話したい」と述べました。

 志位氏は、スターリンが支配するソ連により武装闘争をおしつける乱暴な干渉が行われ、党が分裂に陥るという事態となった「50年問題」について、『百年』史では、不破哲三さんの研究『スターリン秘史』を踏まえて“スターリンの干渉の真の狙いがどこにあったのか”を新たに解明していると紹介。東欧諸国への覇権主義的支配を安定させるために、米国をアジアで起こす戦争に引き出し、米国の後方基地となる日本の運動に武装闘争方針をおしつけて、後方でのかく乱・妨害活動にあたらせることに狙いがあったとして、「自分の『勢力圏』の確保のためには、他国の党や運動がどんな被害を受けてもかまわないというスターリンの覇権主義が、無法な干渉の根本にあったのです」と強調しました。

 そのうえで志位氏は、党が「50年問題」を総括し、自主独立の路線を打ち立て、綱領路線を確立するまでの過程――55年の「六全協」から58年の第7回党大会で、自主独立の路線――相手がどんな大国でも言いなりにならず日本の進路は自分で決めるという路線を確立するとともに、61年の第8回党大会で綱領路線――国民多数の合意で異常な「アメリカ言いなり」「財界中心」の政治を根本からただす民主主義革命を行い、さらに国民多数の合意で社会主義にすすむという大方針を決めた過程を詳細に解明。「限られた条件のもとで、徹底した民主的討論を通じて、『50年問題』という党史上最大の悲劇の真相を突き止め、それを『未来への光ある序曲』に転じ、自主独立と綱領路線を打ち立てるという大事業を成し遂げた先人たちの勇気と理性に、心からの敬意の気持ちをささげたい」と述べました。

 さらに、「この試練を経て、党の統一と団結を守ることの、党の生死にかかわる重要性が明らかになり、集団的指導を重視し、党内民主主義を大切にするとともに、党規約をやぶる分派主義・派閥主義を許さない――民主集中制の原則が全党の血肉となったことも、今日に生きる極めて重要な教訓です」と語りました。

綱領路線の確立以後(一) 1960~70年代

二つの覇権主義 反共作戦を破る

 つづいて志位氏は、『百年』史・第3章「綱領路線の確立以後(一)――1960~70年代」に話を進めました。

 志位氏は、日本の政治史は日本共産党が「61年綱領」を確定した60年代以降、アメリカ従属、財界・大企業中心の自民党政治と、「国民が主人公」の民主主義日本をめざす日本共産党の二つの流れの対決を軸に展開してきたと指摘。「61年綱領確定後の60年余に、日本共産党は3回にわたって国政選挙での躍進を記録していますが、そのたびに支配勢力は集中的な反共攻撃と政界の反動的再編でこたえ、それとのたたかいで党は鍛えられ、成長していく――『政治対決の弁証法』というべき曲折にとんだたたかいとなりました」と語りました。

 志位氏は、60年代に綱領路線を確立した日本共産党が各分野で開拓的な努力を開始したこと、他方でソ連、中国・毛沢東派による激しい干渉攻撃に遭遇し、それを正面から打ち破り、自主独立の路線を確固たるものに発展させたことを強調。イタリアのジャーナリストの評価を紹介して、党が干渉を「打ち破っただけでなく、より強くなって現れた」ことを力説しました。これらの努力が、60年代末から70年代にかけて続いた「第一の躍進」に実っていったと語りました。

 70年代前半から、党の躍進に震撼(しんかん)した支配勢力が“共産党抑え込み”を狙った反共作戦――「暴力と独裁の党」などという反共キャンペーンを開始するなかで、党はこれを根底から打ち破り、79年の総選挙では41議席と史上最高の議席を獲得したと力説。この躍進の根本には、粘り強く続けられた党建設の飛躍的発展が土台としてあったと強調しました。

綱領路線の確立以後(二) 1980~90年代

三つの試練を乗り越えて

 次は、『百年』史・第4章「綱領路線の確立以後(二)――1980~90年代」です。

 志位氏は、この時期は、「社公合意」によって日本共産党をのぞく「オール与党」体制がつくられ、日本共産党が自民党政治に対する唯一の革新的対決者となるという政治の大変動のもとで始まり、その後、十数年のたたかいを経て、90年代後半に「第二の躍進」――党史上最高の峰への躍進をかちとったと指摘。躍進を果たしたのは、「三つの試練」(1)日本共産党をのぞく「オール与党」体制とのたたかい(2)東欧・ソ連崩壊を利用した「社会主義崩壊」論とのたたかい(3)「自民か、非自民か」の偽りの対決構図をおしつけ、日本共産党を「カヤの外」に排除する新たな反共作戦とのたたかい――に立ち向かい、それぞれを克服し、党の成長・発展をめざした全党の奮闘の結果だと強調しました。

綱領路線の確立以後(三) 2000年代~今日

“試練の12年間”“共闘の8年間”

 最後の時期は、『百年』史・第5章「綱領路線の確立以後(三)――2000年代~今日」です。

 志位氏は、この時期に、日本共産党の「第二の躍進」に恐れをいだいた支配勢力が、謀略的な反共大キャンペーンを行い、引き続いて「二大政党づくり」にのりだし、「自民か、民主か」という「政権選択」を国民におしつけて党を選択肢から排除する反共戦略を進めたと指摘。この戦略が、党にとって61年綱領確定以後、最大・最悪の逆風として作用したこと、2000年から12年までの12年間は9回の国政選挙で一度も勝利を手にできない“試練の12年間”となったと振り返りました。

 志位氏は、“試練の12年間”に全党が結束して取り組んだ成長と発展のための努力として、(1)全党の英知を総結集して、党綱領と規約を21世紀にふさわしい内容へと抜本的に改定した(2)“国民の苦難軽減”という立党の精神に立った取り組みをうまずたゆまず進めた(3)自公政治に代わる新しい政治は何かを国民とともに探求するという姿勢で奮闘した(4)野党外交の本格的発展に取り組んだ(5)国政選挙のたびごとに、内外の声に学んで活動の改革と刷新の努力を続けた――をあげ、これらの全党の不屈の奮闘が「第三の躍進」をかちとっていく力になったと強調しました。

 志位氏は、躍進した党が「市民と野党の共闘」という党の歴史にとってかつてない挑戦に踏み出し、奮闘した“共闘の8年間”を振り返りました。志位氏は、「たたかいは現在進行形であり、前途には困難も予想されますが、“共闘の8年間”をふまえて三つの点を訴えたい」として、(1)「市民と野党の共闘」が確かな成果をあげてきたという事実を確認しよう(2)「市民と野党の共闘」の発展のためには、自民党や一部メディアなどによる野党共闘攻撃に対して、きっぱりと立ち向かう立場に立つことが避けて通ることができない(3)つよく大きな日本共産党を建設し、党の政治的躍進をかちとることこそ、共闘が直面する困難を克服し、共闘を再構築するうえでの決定的な力になる――の3点を強調しました。

新たな百年へ

つよく大きな党をつくろう

 最後に志位氏は、「先人たちの苦闘、全党のみなさんの奮闘によって、党は、世界的にもまれな理論的・政治的発展をかちとり、組織的にも時代にそくした成長と発展のための努力をつづけてきました。同時に、『百年』史が率直に明らかにしているように、党はなお長期にわたる党勢の後退から前進に転ずることに成功しておらず、ここにいまあらゆる力を結集して打開すべき党の最大の弱点があります」と語るとともに、「内外の情勢は、この現状の打開を強く求めています」「綱領の魅力を広く伝えきるならば、つよく大きな党をつくることは必ずできます」と力説。「綱領を縦横に語り、歴史に深く学び、つよく大きな党をつくる仕事に、新たな決意でとりくもう」と熱く訴えました。

 そのうえで志位氏は、「新しい100年のスタートの年となる党創立101周年のこの機会に、どうか日本共産党に入党していただきたい」と呼びかけ。日本共産党の歴史は試練続きだったが、その試練は101年の歴史が証明しているように、党が平和・民主主義・人権・暮らしのために国民とともに不屈にたたかい、それをはばむゆがんだ政治を「もとから変える」ことを大方針に掲げている革命政党であることの証しだと強調し、「試練に挑戦し、そのなかで自らの成長をかちとることにこそ、人間としての本当の喜びがあり、本当の幸福があるのではないでしょうか。たった一度きりしかない大切な人生を、どうかこの党とともに歩んでいただくことを心から呼びかけます」と結びました。


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