しんぶん赤旗

お問い合わせ

日本共産党

赤旗電子版の購読はこちら 赤旗電子版の購読はこちら
このエントリーをはてなブックマークに追加

2023年8月16日(水)

座談会『日本共産党の百年』を語る(上)

生きた攻防のプロセス 1922~2022

 日本共産党が7月25日に発表した『日本共産党の百年』―。編纂(へんさん)作業に参加した田中悠書記局次長、山口富男社会科学研究所副所長に、村主明子学習・教育局長代理、国民運動委員会の岩崎明日香さんが参加して、感想や決意を語り合いました。上下2回に分けて掲載します。(『前衛』10月号で詳報)


苦闘と開拓の歴史 「爽快」 村主

若い党員と共に学びたい 岩崎

写真

(写真)『日本共産党の百年』

 村主 びっくりするような反響です。8月10日時点でタブロイド判の注文が5万7千余部にいき在庫がなくなりました。多いときは1日1000部以上の新しい注文が来ることもあって、大変期待が大きいです。

 田中 さっそくうれしい感想も寄せられています。

 千葉の党員の方からは「『極めて読み応えがあり、(従って進まない)、深くて、ドラマチックであり、何よりも現代の眼(め)で書かれている』ことが感銘でした…党歴57年を超える自分ですが、当時のさまざまな事象が呼び起こされ、感動で涙が出そうになることがしばしばです。よくぞ編纂されたと、心より感謝申し上げます」というメールが寄せられました。

社会変革めざす先輩たちの努力

 山口 『百年』史がなぜそういう力を持つのか。社会変革を目指してたたかった先輩たちの真剣な努力が刻まれている。その力だと感じます。

 『百年』史は、党史としては『八十年』史に続く20年ぶりの発表になりました。『百年』史は、今日の党の政治的、理論的、組織的到達点を踏まえて、改めて党史の全体を振り返り、叙述するという新たな挑戦を行っています。

 志位和夫委員長が7月25日の発表会見で述べたように、全体を通じて最も心がけたことは、“わが党が古い政治にしがみつこうという勢力から、つねにさまざまな非難や攻撃にさらされ、それを打ち破りながら、自らの成長を図ってきた生きた攻防のプロセスとしての歴史を明らかにする”ことでした。

 第1章では、戦前の不屈のたたかい、22年から45年。第2章で戦後の45年から61年。第3章から第5章で綱領路線の確立以降の60年余りを取り上げ、各章の冒頭、あるいは節目で、「政治対決の弁証法」という基本的な観点に基づいて、その時期の総括的な記述を示し、各論に入るという新たな構成と叙述の工夫を行っています。

 また『百年』史は、日本の政治史、世界史についても、基本点での叙述を行い、そうした歴史の文脈の中で党が果たした役割を示しています。大局において党の100年は平和、民主主義、人権、暮らしなどさまざまな面で国民の苦難を軽減し、日本の社会進歩に貢献し、世界史の本流に立ってそれを促進した歴史です。

 もう一点、党自身の自己分析、自己改革の努力も強調されています。わが党の歴史の中には、さまざまな誤りもあり、歴史的な制約もあります。わが党の歴史は、それらに事実と道理に基づいて誠実に向き合い、科学的社会主義を土台として常に自己改革を進めてきた歴史です。『百年』史はそうした自己改革の足跡についても、詳しく明らかにしています。

 わが党に対して「誤りを一切認めない」などという事実に反する非難がありますが、『百年』史そのものが党の真の姿を語り、さまざまな批判や攻撃にも正面から答える内容を持っていることに注目したいと思います。

 100年を超える歴史を持つ政党は、日本では日本共産党だけです。その党が歴史への貢献と自己分析の両面で一貫した党史を持ち、『百年』史を発表したことは、政治史上も大きな意味を持つと思います。志位委員長の言葉を借りれば、「こうした党は世界を見渡しても、そうはない」わけですから。

広範な人々の共同財産となる

 村主 私は、この1世紀に日本と世界の発展にとって、日本共産党がどういう役割を果たしたのかを明らかにしたこと、そして、いまかけられているさまざまな攻撃にも、科学的社会主義の立場でどう変革をしながら頑張ってきたかも明らかにしている点で、読み終わって、感想を一言でいうと「爽快」です。100年分の苦闘と開拓の中身を得て、いまから切り開いていかなければならない私たちへの最大の励ましになると受けとめました。

 田中 私自身は、この100年の到達点に立って、先人たちが切り開いてきた党の理論的な到達点、政治的な到達点、また運動やたたかい、党建設、この歴史の財産を次の世代に伝えていく責任が、いまを生きる党員にはあることを強く感じました。『百年』史はまさに国民の歴史の重要な一部をなす、広範な人々の共同の財産となるものだと思います。

 岩崎 私は生まれが1986年で、入党は2006年です。100年の党史のうち、自分の政治的体験と重ねて読める範囲というのは多分5分の1ぐらいです。学習するうえでは大変ですが、若い党員のみなさんと一緒に頑張りたい。そのとき指標にしているのが、不破さんが『日本共産党史を語る』の最初のほうでいわれていた、党史を生きた形でつかむ、先人たちの気持ちや姿勢と合わせて学んでほしいという呼びかけです。その点で特に1章で、当時の先輩たちの思いが伝わってくるのは、学ぶ意欲がより高まる中身だと思いました。

 自分が入党してしばらくの間は「二大政党づくり」のもと、党が見えなくされていました。いまのような激しい党攻撃とのたたかいを体験するのは、実質上は初めてです。そういう形で読むと、いろんな攻防のプロセスを染み込むように読み学ぶという、これまで以上にそういう党史だと思います。

第1章

不屈の活動 戦前史の誇り 山口

写真

(写真)記者会見で『日本共産党の百年』を発表する志位和夫委員長=7月25日、党本部

 山口 『百年』史は第1章で戦前の党活動を三つの時期に分けて述べています。(1)党創立の初期の活動=22年から27年、(2)「ここに日本共産党あり」の旗を掲げた27年から35年、(3)次の時代を準備する不屈のたたかい、35年から45年の三つの時期に分けて述べています。この時期区分は、党史の編纂では初めてのものです。これは、迫害、弾圧に抗しての党自身の成長と発展という視点で、戦前の党の活動を捉えたものです。

 第1の時期は、党創立と初期の活動ですが、ここでは、天皇絶対の専制政治のもとで、政治活動の自由がありませんでしたから、党は非公然の政党として組織され、侵略戦争と植民地支配に反対し、国民主権の政治をつくるという民主主義の旗を立てました。

 第2の時期は、綱領的文書=27年テーゼの決定によって、天皇制権力に対しては非公然の形で党を建設しながら、「赤旗」(せっき)を28年2月に創刊し、国民の前には「ここに日本共産党あり」という旗を掲げての活動に踏み出した新しい時期です。

 第3の時期については、『百年』史では、新たな叙述が行われています。一つは各地での活動がさまざまな形で続いたこと。もう一つは、獄中や法廷でのたたかいが専制政治と侵略戦争に反対する党の立場を守り、戦後の新しい時代を準備する営みとなったという叙述です。

 田中 私は戦前史を、紹介された三つの区分で記述をしたことで、こんなに新鮮に読める第1章になるとは最初は思っていませんでした。

 その第1の時期、“一部の人で解党を決める”誤りを犯しながらも、くじけずに党を再建し運動を続けていく。それから第2の時期、国民の前に党が堂々と姿を現し、労働、生活の向上から政治的権利の獲得、平和などで、天皇制権力のもとでの抑圧に抗して素晴らしいたたかいを広げていく。そしてさまざまな弱点がありながらも革命路線の発展を遂げていく姿がよくわかります。

 第3の時期、35年以降は党が壊滅したという議論がありますが、各地のたたかいは続き、獄中闘争、法廷闘争によって、専制政治と侵略戦争に反対する営みを絶対に消さずに、いかにして次の時代を準備していったか。この区分で改めて捉えると、新しい戦前史が見えると思います。

党史に刻まれた女性党員の活動

 山口 新たな視点での解明では、日本共産党に参加した女性たちの不屈の活動があります。志位委員長の記者会見でも、記者からこの部分は2回読んだという質問があり、大変注目されたところです。

 ここでは、4人の女性活動家が中央をふくむ責任ある部署で活動し、どういう思いで厳しい時代をたたかい抜いたのか、その生きた姿を伝えています。

 戦前の天皇制権力は、“共産党は女性を踏み台にした非人間的な党”と攻撃し、同様の批判は戦後も繰り返されました。これに対し、当時、党指導部の一員だった宮本顕治さんの証言も紹介して、この攻撃が事実に全く反し、成り立つものではないと、きっぱり反論しています。

 もう一点は、党の戦前史の国民的意義です。党の戦前の不屈の活動は、「日本の戦前史の誇り」と書いています。戦前、わが党が置かれた状態は苦難に満ちていたけれども、その仕事、活動は、戦後の憲法の国民主権、基本的人権、恒久平和などの原則に大きく実を結びました。これは国民的財産です。

 もう一つは、反戦平和のとりくみが、今日のアジア諸国民との平和、友好を進める土台になっている。そういう活動として世界と日本の歴史にしっかり刻み込まれた、こういう国民的意義をもっていたことです。

 岩崎 私は、4人の女性活動家についての記述が大きく膨らんで、とくに中央を含む責任ある部署で活動していたことが、彼女たちの姿が目に浮かぶような叙述とともに、党史に刻まれたことにとても励まされました。

 当時のいろんな雑誌を見ても、女性党員に対するすさまじい誹謗(ひぼう)中傷がされています。女性党員が男性と一緒に、男性と同じくらい大事な仕事をやっているという事実は隠して人格をおとしめる攻撃がされています。それを考えると、戦後も女性の権利のために活動し、そしていまもジェンダー平等実現のために奮闘しているもとで、戦前の党を特筆するものとして、彼女たちの活動が明記されたのは本当にいいなと思います。

 一方で、共産党は「女性を踏み台にした非人間的な党」という戦前・戦後に繰り返されてきた攻撃との関係では、特に小林多喜二の『党生活者』にかなり攻撃が集中してきた経過があると思います。

 しかし多喜二の全集に残っている小説や戯曲の全部を読んでみると、初期の作品から、多喜二は一貫して、女性が貧困と性暴力と性的搾取に苦しめられていることを書き続けています。そういう男性の作家は、戦前どれだけいたでしょうか。しかも、あわれむように書くのではなく、女性が、そこからもがいて、立ちあがって尊厳を取り戻していくプロセスを、できる限り本人たちの実感に沿うように書くという姿勢です。例えば、「男性が救い出してハッピーエンド」みたいな作品を多喜二は書かないのです。

 田中 わが党を「凶悪犯」であるかのような報道や、侵略戦争推進のキャンペーンなど、メディアの犯罪的役割が補強されています。

 いま「赤旗」は、大軍拡・敵基地攻撃能力保有をすすめる岸田政権の戦争国家づくりに反対していますが、一方で他のメディアはほとんど沈黙しています。

 戦前のこの時代に、「赤旗」(せっき)が侵略戦争反対の旗印を掲げて頑張った一方で、(他のメディアが)戦争礼賛の流れに屈し、それを部数拡販の手段にしたことも書かれています。そういう「傷」が、戦後のメディアの中にも残っていることがたどれる戦前史にもなっています。

“名誉を救った”反戦のたたかい

 村主 「次の時代を準備する営み」ということが今回、党史にも刻まれたわけですが、改めてこの「次の時代を準備する営み」として、革命政党が戦前に誕生し、それが日本国憲法に実ったこと、現在のアジアなどとの平和外交にも生きるという意義は本当に大きいと感じます。

 山口 1945年8月の巨大な変化、転換をただちに受け入れられた人は少なかったと思います。宮本百合子さんは「歌声よおこれ」と呼びかけ、新たな創造の仕事に乗り出した。侵略戦争への協力を拒否し、その立場を守った表現者だからです。

 党は、戦後憲法をつくるときに、国民主権の立場をただちに表明します。日本国憲法の当初の案は、主権在民が明確でなかった。国会論戦と運動のなかで、それを書き込ませるわけですが、戦前の党の不屈のたたかいは、こういう形で明るい希望となり、実るわけです。だから、宮本顕治さんが亡くなったときに評論家の加藤周一さんが、「宮本さんは反戦によって日本人の名誉を救った」と言われた(2007年7月)。とても思いのこもった評価だと思います。

 岩崎 作家の三浦綾子さんが教師として子どもたち、生徒たちに軍国主義を正しいと信じて教えて、それが誤っていたとわかった時に、深い痛苦と悔恨、そして病気の中で苦しまれる。その時に心の支えになったのが百合子の小説で、感想を書こうと思って出せないでいたときに、百合子が亡くなってしまった。三浦さんが特に愛読されたのが『12年の手紙』なのだそうです。『12年の手紙』こそ、宮本文学のすべての鍵が隠されている豊饒(ほうじょう)な土壌だとおっしゃっていて、他のどの小説を読んだとしても、『12年の手紙』を読まなければ、本当に百合子を読んだことにはならないと言っておられます。自分たちがこれからどう生きていったらいいのかって、命も危ぶまれるほど苦しんでいる人たちに、そこからもう一度立ち上がる、生きる勇気を広げた、そういう役割を示し得たのが、このたたかいだったと思っています。

 村主 弾圧に抗してどのような成長と発展の努力があったのかという、この党史の角度は、すごく大事だと感じます。改めて三・一五大弾圧とか、四・一六の闘争とか、どんどん弾圧が苛烈になっていく中で、負けずにいろんなたたかいを続けていく。侵略戦争反対の旗を掲げ労働問題、農業問題などで国民の闘争を呼びかけていく。弾圧に抗しつつ、社会進歩の流れをつくろうというたたかいや裁判闘争があった。これは、次の100年に向かって、新しい日本の社会をつくる力にもなる。共産党の戦前史の開拓の息吹をつかめるものだと思います。

第2章

実践の中で綱領路線確立 田中

写真

(写真)座談会に参加した、(左から)田中悠、村主明子、山口富男、岩崎明日香の各氏

 山口 第2章の特徴は、日本軍国主義の敗北によって、党が合法政党としての活動を開始した45年から、党分裂という「五○年問題」の危機を経て、自主独立の立場、綱領路線を確立し、あらたな出発を遂げた61年までの時期を一つの章にまとめたことにあります。

 このまとめ方によって、深刻な危機や攻撃に対して真剣に立ち向かうことで、党が新たな道を切り開くという、この時代の「たたかいの弁証法」がくっきりつかめるようになったと思います。

 第1節は、45年~49年の敗戦後の政治体制の変化と党の発展のところですが、戦後の日本はアメリカを主力とした連合国軍の占領という初めての事態に置かれました。その中で再建された党は、主権在民を一貫して主張し、全面講和、外国軍の撤退、真の独立を求める。また労働者・国民の暮らしを守る闘争にとりくみ、1100万人が参加した民主主義擁護同盟という統一戦線組織が誕生しました。当時は、戦略路線の未確立という制約があり、個々の誤りもありましたけれども、主たる側面としては積極的で先駆的な活動をしました。

 第2節は、スターリンの干渉と「五○年問題」です。党の前進を恐れて、立ちふさがってきたのはアメリカ占領軍です。党を「民主主義の破壊者」と攻撃し、松川事件その他の謀略事件を、党と労働組合が引き起こしたかのように宣伝して弾圧に出ました。

 この時期に、より深刻な形でわが党の進路を破壊したのが、ソ連のスターリンによる謀略的な干渉でした。この干渉に呼応して分派をつくった人々が、公職追放という、中央委員会への弾圧を利用して、中央委員会を解体、党を分裂させる暴挙に出る。

 これが今日、私たちが「五○年問題」と呼んでいる、党に危機的な事態をもたらしたわけです。『百年』史では、スターリンの干渉作戦の全貌が、彼の打った具体的な手だてを含めて、ソ連解体後に明らかになった資料と、その後の研究も踏まえて明らかにしています。

 第3節は、党が大変な努力をして深刻な危機を乗り越え、58年の第7回大会で、どんな相手や大国の言いなりにならず、日本の進路は自分で決めるという自主独立路線を確立したこと、61年の第8回大会で綱領路線、国民多数の合意で異常なアメリカ言いなり、財界中心の政治を根本からただす民主主義革命を行い、さらに、国民多数の合意で社会主義を進める大方針を決めたことを明らかにしています。

 『百年』史では、55年~58年までの時期を党史上の「きわめて重要な時期」と位置づけて、その過程を立ち入って叙述し、「武装闘争方針の否定こそが、六一年綱領を確立する出発点となったのです」という規定づけを行っています。

波瀾万丈の歴史 一つながりに

 田中 この時期を一つの章にしてみると戦後、党の活動が合法的地位を獲得し、占領下での活動から綱領路線が確立され、また自主独立の立場を定めるまでの波瀾(はらん)万丈の歴史を一つながりに捉えることができる。分かりやすいまとめだと思いました。

 党史上の最大の危機、「五○年問題」という問題を克服し、その痛苦の体験の中から今の綱領路線につながる非常に大事な方針を導き出していく。武装闘争方針の否定から今の路線がつくられていったことは、共産党は、「いざというときには暴力革命を捨てていない」というような論に対して、歴史の事実から明快に反論していると思いました。

 岩崎 私もこの章が一番、一つの章にこの期間を区切ったことの意味を考えながら読みました。党史上の「きわめて重要な時期」ということに関わって、志位委員長が記者会見で、党分裂という最悪の危機を乗り越え、自主独立の路線と綱領路線という未来ある路線を打ち立ててきた、先達の理性と勇気に深い敬意を覚えざるを得ません、と言われたことがすごく印象に残っています。

 特に、「五○年問題」の歴史的教訓が三つ書かれているところで、この第3の、党の団結と統一を守ることを「党の生死にかかわる重要性」というような強い表現、掘り下げた記述になっているのはよくつかみたい中身だと思っています。

 山口 「党の生死にかかわる」との叙述にも、この時期の重要性が反映しています。

 村主 「党史上の極めて重要な時期」として、本当に苦労したときだった。その中から攻撃に立ち向かう足場をつくり、踏み出した先輩たちの苦闘と開拓は、現在の党の安保政策に対する攻撃、党の組織のあり方への攻撃に対しても、これは絶対に打ち破れる、打ち破らねばという確信を与えてくれます。私は、「党首公選制にすればいいじゃない」と言う方には、派閥や分派をつくることがどんなに党にとって有害なことか、この時期の苦闘を知っていただきたい。特に若い党員の方には、諄々(じゅんじゅん)とこういうことがあってね、こうだったんだよ、というように伝えていきたい。

 山口 日本共産党の自主独立の路線、綱領路線と組織路線が生まれてくる現場なんですね。

 田中 綱領の決定は第7回大会では現状規定と当面の革命の性格をめぐる不一致があることを踏まえて見送り、第8回大会まで引き続き討議します。単に議論だけで解決していくのではなくて、安保闘争をたたかい、そして党づくりに挑戦しながら、その実践の中で綱領路線を定めていく過程が書いてあるのも非常に大事な点です。その中に日曜版の創刊もありますし、やっぱり党勢拡大を「目標と計画」を持って進めていく。この実践を通して、綱領路線の確かさを全党の認識にしていく過程が叙述されています。

過去さかのぼり誤りを明らかに

 岩崎 旧「優生保護法」の改定に関わって、過去にさかのぼり誤りを明確にした。2018年に表明があったときは、当時はそういう状況だったのかと思ったのですが、そこからさらに精査を行って重大な誤りがあったと明確にされた。

 同じ章の中でハンガリー事件についても、過去に訂正をしたことも合わせて説明がされています。非常な混乱と困難の中にあった時期の党史ですけれども、混乱の時期だったからしょうがなかったということではなく、さかのぼって誤りを明らかにして教訓に残していくというあり方自体も学べる中身だと強く感じました。

 山口 「敵の出方」に関わる用語の意味とこの用語を廃棄した経過も詳しく書かれています。党に対する事実に基づかないさまざまな攻撃に対して、党史上答えておく必要があるものは盛り込まれています。(つづく)

『日本共産党の百年』〈目次〉

第一章 日本共産党の創立と戦前の不屈の活動(1922~45年)

(1)党創立と初期の活動(1922~27年)

(2)“ここに日本共産党あり”の旗を掲げて(1927~35年)

(3)次の時代を準備する不屈のたたかい(1935~45年)

(4)国民的な苦難の経験と党の不屈のたたかいの意義

第二章 戦後の十数年と日本共産党(1945~61年)

(1)敗戦後の政治体制の変化と党の発展(1945~49年)

(2)スターリンの干渉と「五〇年問題」(1950~55年)

(3)六一年綱領の決定と自主独立の立場の確立――「五〇年問題」の教訓(1955~61年)


pageup