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2023年5月14日(日)

主張

沖縄本土復帰51年

「平和な島」実現への道開こう

 沖縄はあす、1972年5月15日の本土復帰から51年を迎えます。凄惨(せいさん)な沖縄戦とその後の苛酷(かこく)な米軍支配の体験を通し、県民は復帰に際し、日本国憲法の下での基本的人権の保障と「基地のない平和な島」の実現を切望しました。しかし、復帰から半世紀が過ぎた今も、沖縄はその願いとはかけ離れた状況にあります。

今も続く人権じゅうりん

 日本共産党の赤嶺政賢議員は4月27日の衆院憲法審査会で、「沖縄と憲法」について発言しました。翌28日が、沖縄を日本から切り離し米国の施政権下に置くことを決めたサンフランシスコ条約発効71周年に当たるからです。47年に沖縄で生まれた赤嶺さんは発言の中で、自身が小学校に入学してから大学生になるまでの間に起きた米軍の事件・事故を振り返り、「軍政下で沖縄県民の命は虫けら同然に扱われた」と強調しました。

 ▽55年―6歳の少女が米兵に拉致・暴行された上、惨殺される▽59年―石川市(現・うるま市)の宮森小学校に米軍ジェット機が墜落し、児童ら18人が死亡▽63年―那覇市で信号を無視した米軍トラックが中学1年生の男子生徒をはねて即死させる。運転していた米兵は軍法会議で無罪に▽65年―読谷村でパラシュートを付けて投下された米軍のトレーラーが民家のそばに落下し、小学5年生の女子児童が下敷きになり死亡…。

 沖縄は、県民の島ぐるみのたたかいによって本土に復帰します。復帰直前の71年、当時の琉球政府主席の屋良朝苗氏がまとめた「復帰措置に関する建議書」は「県民が復帰を願った心情」について「国の平和憲法の下で基本的人権の保障を願望していた」とし、次のように述べていました。「基地あるがゆえに起るさまざまの被害公害や、とり返しのつかない多くの悲劇等を経験している県民は…従来通りの基地の島としてではなく、基地のない平和の島としての復帰を強く望んでおります」

 ところが、日米両政府が結んだ沖縄返還協定は、米軍支配下で強権的に拡張された広大な基地を存続させました。そのため今も全国の米軍専用基地面積の7割が集中し、95年の米兵による少女暴行事件、2004年の沖縄国際大学へのヘリ墜落事故、16年の米軍属による女性暴行・殺害事件、同年の名護市海岸へのオスプレイ墜落事故など、被害は後を絶ちません。

 さらに日米両政府は民意に反して名護市辺野古の米軍新基地建設を推進しています。赤嶺さんは「憲法の上に日米安保・地位協定がある下で県民の人権はじゅうりんされ続けている」と訴えました。

「再び戦場にさせない」

 重大なのは、岸田文雄政権が決定した安保3文書に基づき「敵基地攻撃」が可能なミサイル配備などが狙われ、「沖縄が再び戦場になる」危険が高まっていることです。沖縄県の玉城デニー知事は2月の県議会で「米軍基地が集中していることに加え、自衛隊の急激な基地機能強化により沖縄が攻撃目標になるリスクをさらに高める事態を生じさせてはならない」と表明し、「平和的な外交・対話による緊張緩和と信頼醸成」を政府に求めました。県議会も3月に同趣旨の意見書を可決しています。

 そうした道こそ、県民の願いに応え、「基地のない平和な島」の実現につながるものです。


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