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2023年5月5日(金)

主張

「こどもの日」

尊厳と権利の保障の原点を今

 きょうは「こどもの日」です。制定は1948年です。日本が始めた侵略戦争で多くの子どもが犠牲になりました。戦争末期から敗戦直後にかけて、栄養失調や病気などで子どもの命が失われました。戦争孤児は筆舌に尽くし難い苦難を強いられました。そんな中で75年前、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかる」(祝日法)ための日が生まれたのです。

憲法施行を受けての議論

 「こどもの日」誕生の大きな力になったのは47年施行の日本国憲法です。「こどもの日」制定を審議した48年の国会では「子どもの存在が社会的にも多少とも認められるようになりましたのは明治以後の事でありますが…新憲法実施の機会に、さらに子どもの社会的地位を明瞭に」「真の日本民主化を達成するため、一つには子どもが一個の人間としての尊厳と権利と福祉を得るため」などの意見が交わされました。子どもの権利や尊厳を踏まえた議論が活発に行われたことが議事録から伝わります。

 47年に児童福祉法と学校教育法が制定され、国と地方自治体が保護者とともに児童を心身ともに健やかに育成する責任を負うことが明記されました。このことを児童の立場から権利として示すために、51年の「こどもの日」には「児童憲章」が定められました。

 国際連合で「世界人権宣言」が採択されたのは48年です。「児童の権利に関する宣言」が国連総会で採択されたのが59年でした。子どもをめぐる敗戦直後の日本の取り組みは、世界でも先進的なものと言えます。それは、おびただしい犠牲を出した戦争への深い反省と深く結びついていました。

 しかし、その後の歩みはどうだったでしょうか。89年の国連総会で採択された「児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)」を日本が批准したのは94年です。世界で158番目という遅さでした。

 国連・子どもの権利委員会は98年、日本政府に最初の勧告を出しました。そこでは競争的な教育システムが子どもから休む時間、体を動かす時間、ゆっくり遊ぶ時間を奪い、子どもの発達をゆがめていることへの懸念を示しました。

 同権利委員会は、2019年の日本政府への勧告でも、社会の競争的な性格によって子ども時代と発達が害されることなく、子どもが子ども時代を享受できるようにすることを求めました。

 この勧告にも日本政府は向き合いません。昨年の「こども家庭庁」設置法案の審議で岸田文雄首相は、点数競争をあおり、自己肯定感を損なっているとも指摘される全国学力テストについて、子どもの最善の利益を第一に行っているとの認識を示しました。

検証と反省が欠かせない

 日本の子どもの自殺率は主要7カ国の中で最悪で、10代前半での自殺は増加傾向です。いじめ、不登校、児童虐待の増加も極めて深刻です。政府が「こどもまんなか社会」と言うなら、従来の施策の検証や反省を行い、憲法と児童憲章、子どもの権利条約と国連からの勧告を正面から受け止め、施策に生かすことが求められます。

 政府から独立し、権利擁護の立場で行政を監視・評価し、子どもの意見を代弁して個別事案の権利救済を行う子どもコミッショナーの制度化が世界で広がっています。日本も早期に実施すべきです。


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