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2023年2月14日(火)

トルコで被災したシリア難民

「平和に暮らせる場所を」

本紙ルポ

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(写真)避難施設のテントで暮らすシリア難民のハンムドゥ・アブダラさんと子どもたち=12日、トルコ南部カフラマンマラシュ(秋山豊撮影)

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(写真)12日、トルコ南部カフラマンマラシュにある競技場に避難所として設置されたテント(秋山豊撮影)

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 【カフラマンマラシュ〈トルコ南部〉=秋山豊】12日、トルコ南部で甚大な被害を受けたカフラマンマラシュにある避難施設を訪ねました。

 「一部屋で良い。ただ家族と安心して平和に暮らせる場所がほしい」―トルコで被災したシリア難民のハンムドゥ・アブダラさん(46)の訴えです。シリアにいた頃は空爆で家が破壊されました。トルコに逃れてからも困難にあいながら懸命に生きてきましたが、6日の地震でまたも家を失いました。内戦が続くシリアに残してきた両親も被災し、避難生活です。

 カフラマンマラシュの避難施設は、競技場に約350のテントが張られ、約3500人が避難しているそうです。

 アブダラさんは、言います。

 「家族とのより良い暮らしと未来を夢にみてシリアから逃れてきた。トルコでは難民であることで差別や憎悪にさらされ、アラビア語教師の仕事も解雇された。それでも妻と子どもたちと幸せに暮らしていた。その思い出がつまった家がなくなってしまった」

希望は捨ててない

地震でいとこ家族が…

 アブダラさんの家族が身を寄せるテントのすぐそばでは、トルコ人の被災者が避難生活を送っています。

 トルコは約360万人のシリア難民を受け入れています。

 地震で人びとが命を奪われ、けがに苦しむ光景に遭遇し、子どもたちが怖い思いをした、とアブダラさんは言います。崩落していく建物から悲鳴も耳にしました。

 地震が起きた日、アブダラさんは大きな揺れを感じ、すぐに妻と子どもと自宅の外に逃れました。その後、目の前で自宅が崩れました。隣に住んでいたいとこの女性は、その夫と4人の子どもとガレキの下敷きになって亡くなりました。

 アブダラさんは2016年、シリア北西部イドリブからトルコに来ました。戦火を一緒に逃れてきた、いとこ家族の死は、あまりに耐えがたい不幸です。

 それでも地震発生から2日後、シリアに残してきた両親と電話がつながり、無事を確認できた時は安心しました。命を落としているかもしれない―。お互いに連絡がつくまで最悪の事態を恐れ、苦しい時間を過ごしていました。

 シリアでは11年、アサド政権に退陣を迫るデモが各地に広がりましたが、政権が弾圧。反体制勢力は次第に武装闘争を展開します。政権側にイランとロシアが、反体制勢力に欧米、サウジアラビア、トルコがつき、紛争は複雑かつ長期化しました。過激組織ISも台頭しました。

 アブダラさんはシリア軍とロシア軍の空爆で2度も住まいを追われました。一度目は自宅が、二度目は避難していた先の親戚の家が破壊されました。いとこ2人が空爆で亡くなっています。

 「シリアに残してきた両親も空爆で家を追われ、今度は地震で家を失った」

 アブダラさんの両親は、トルコとの国境に近い地域で避難しています。シリアから逃れたがっています。

 アブダラさんは言います。「シリアでもトルコでも多くの困難にあってきたが、希望は捨てていない。私たちは戦争を生き抜いてきた。大地震で家を失っても生きている。いつか、平和になったシリアで家族と両親と暮らしたい」


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