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2022年10月14日(金)

揺るがぬ民意 オナガ那覇市長実現で

国言いなりでなく 米軍新基地にノー

県民の心ひとつ デニー県政とともに

「オール沖縄」 流れ堂々

 那覇市長選(16日告示・23日投票)が目前に迫りました。名護市辺野古の米軍新基地は造らせない翁長雄志前知事・元那覇市長の遺志を継ぎ、誰ひとり取り残さない優しい社会をつくる玉城デニー知事と力を合わせる「オール沖縄」のオナガ雄治(たけはる)予定候補(35)と、自民党・公明党推薦の知念覚氏(59)の一騎打ちの見込み。市民が主役のオール沖縄市政を発展させるのか、政府言いなりの市政にしてしまうのか―。権力総動員で襲いかかる岸田自公政権と市民・県民とのたたかいです。


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(写真)玉城デニー沖縄県知事(右)、ナガヤマ盛太郎那覇市議補選予定候補(左)とともに訴えるオナガ雄治那覇市長予定候補=10日、那覇市

16日告示

 この間、政府は民意を無視して辺野古新基地工事を進め、沖縄振興予算を減額する卑劣な「アメとムチ」政策で基地受け入れを沖縄に迫ってきました。それでも、9月の知事選で新基地反対を訴えたデニー知事が、新基地推進を明言した自公候補に6万票以上の大差で圧勝しました。

誇りと尊厳

 オナガ予定候補は、沖縄の中に対立と分断を持ち込む政府の対応は「民主主義として恥ずべきもの」と指摘。「アイデンティティーとして県民が覚悟を示した辺野古新基地建設の反対を正々堂々と訴え、要求する」と強調します。オナガ勝利は、岸田政権に揺るがぬ民意を改めて突き付け、市民・県民の誇りと尊厳を示すことになります。

 翁長雄志元那覇市長は保守と革新を超え、辺野古新基地断念・普天間基地閉鎖撤去・オスプレイ配備撤回を求める「建白書」とりまとめの先頭に立ってきました。2013年12月、仲井真弘多県政が県民を裏切り、辺野古埋め立て承認をした際、翁長氏は自らの信念を貫き自民党を離れました。その際、自民党から除名されながらも翁長氏とともに行動した当時の那覇市議はオール沖縄を支えています。

 政府言いなりではなく、沖縄県民の誇りと尊厳を守ることにオール沖縄県政と那覇市政の原点があります。翁長氏の遺志を受け、オール沖縄の流れを引き継いでいるのがオナガ予定候補です。

分断許さず

 那覇がオール沖縄の出発点であり、団結の象徴であるからこそ、自公政権は那覇市政奪取に血道を上げてきました。それが、オール沖縄の城間幹子市政の副市長だった知念氏を擁立するという、オール沖縄分断工作でした。その背後には、那覇市長選で手柄をあげ、「ポスト岸田」へ名乗り出ようとしているとの指摘もある、菅義偉前首相がいます。「沖縄の歴史は知らない」と言い放ち、民意を踏みにじり冷酷に新基地を推進してきた張本人です。菅氏は7~8日に那覇入りし、知念陣営事務所を激励したほか、財界関係者らと面会を重ねるなどしてオール沖縄市政転覆に執念を見せています。

 こうした自公政権に担がれた知念氏に大義はありません。辺野古新基地について「国と県の裁判を見守る」などと自らの政治姿勢すら示さず争点隠しを図っています。新基地ノーを示した県民投票の結果についても「私が国はどうしなさい、ああしなさいと申し上げない」(10日の政策発表会見)と述べました。政府が進める工事を黙認し、基地と引き換えの「子育て支援」で実態として新基地を容認する―。オール沖縄市政の原点から完全に変節しています。

 大激戦の厳しいたたかいです。自公陣営は、圧倒的な物量で組織戦を展開しています。一方、城間市長の知念氏支持表明に、市民には「失望した」との思いと「自民党には絶対負けない」との怒りが急速に広がっています。オナガ予定候補は「オール沖縄は県民一人ひとりの決意であり覚悟です」と常々強調しています。ここに立脚し、相手陣営を上回る取り組みで猛奮闘すれば必ず勝利できます。

オナガ雄治予定候補(35)

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(写真)市民とタッチを交わすオナガ雄治予定候補

 「ひとつになった沖縄の心が二つ、三つ、四つに別れてしまっては、二十一世紀の沖縄の礎を築くことはできない」(翁長雄志著『創造への挑戦』)。前県知事で元那覇市長の父・雄志さんが言い続けてきたスローガン、「県民の心をひとつに」を胸に抱き、那覇市長選に挑みます。

 名護市辺野古の米軍新基地建設反対で、保守・革新の立場を超えて大同団結した「オール沖縄」。雄志さんが県民と一緒につくりあげたオール沖縄の発祥の地・那覇で沖縄の心をひとつにしてオール沖縄を支え続けています。

 1日開かれた「オナガ必勝女性集会」では高里鈴代さんが、新基地反対行動のため辺野古に向かうバスの中では村山純さんが勝利を訴え、激励してくれました。2人は2004年、12年の那覇市長選で雄志さんの相手候補でした。いま勝利へともに歩んでいます。

 「わずか10年前、市民が右と左に分かれてたたかっていた。しかし、私たちはいま一つになってたたかっている。オナガ雄治への、オール沖縄への期待を背に受け、大きな勇気になっています」

 生まれたときから父の雄志さんは政治家でした。プロ野球選手の子どもが小さい頃から野球を見るように、大工の子どもが小さい頃から建設道具を見るように、生活の中で政治を感じて育ちました。

 政治で社会を変え、沖縄の未来を切り開く。雄志さんはじめ政治家の先輩たちの背中を見て実感してきたことがエネルギー源です。

 2017年、那覇市議選に挑戦する際、母・樹子(みきこ)さんは「政治家にはならないで」と猛反対しました。それでも、あきらめるとは言いませんでした。雄志さんは「政治に目覚めて政治家になりたいとその情熱を持った人間はたとえ親でも止められないんだよ」と。

 市議当選の1年後に雄志さんが他界。樹子さんは言います。「あのとき雄治を無理に止めなくてよかった。翁長(雄志さん)は父に政治家になる姿を見せられなかった。翁長には息子が政治家としてスタートするところを見せることができた。変な話ですが、ちょっとほっとしたのを覚えています」

 周囲の後押しを受け20年には県議に。市議、県議を通じ、反戦平和を原点に、子育て世代の代表として子育て支援や教育などの政策を提案し、制度の拡充などに取り組んできました。

 3人の子育て真っ最中だからこそ、子育て世代が何に悩み、行政や政治に何を求めているかを理解し、実行に移すことができるとの確信があります。

 次は市長として、子育て日本一の那覇へ。自身がそうだったように、「こういう背中を見せていくことで子どもたちが将来に希望を持ち、自分のやりたいことを見つけて挑戦することができる。そんな社会をつくっていきたい」と覚悟と信念を貫きます。

 雄志さんが亡くなる2日前、病室で託された言葉があります。「県民と一緒に沖縄県の進むべき道を考えて進んでほしい」

 父の遺志を継ぎ辺野古新基地は許さず、平和で誇りある豊かさを。若い力が新時代那覇を引っ張ります。


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