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2021年8月6日(金)

きょうの潮流

 突然、大きな音が鳴り響きました。母と妹の3人で疎開していた親類の家。その中庭で遊んでいたときに―。それが2歳5カ月だった笹原孝治(たかじ)さんの記憶する原爆の光景です▼それまで暮らしていた広島・天満(てんま)町の自宅は爆心地に近く、めちゃくちゃに。「あのまま住んでいたら死んでいたかも。運命の差配だと思う」。その後黒い雨が降り母に連れられ、父がいた己斐(こい=現西区)まで行ったと聞かされました▼物心がついたときから、つねに日常にあった原爆。白血病で命を落とした同級生の女の子、がんで亡くなった友人や知り合い。通った中学は家族の崩壊や生活苦で荒れた生徒が多かったといいます▼おとなになってからも心の中に抱えてきた被爆者としての恐怖。それは戦争への絶対的な否定の根となり、平和を守る活動につながっていきます。世話人となって地元に九条の会をつくり、民商や医療生協の運動にもかかわりました▼先月死去した那須正幹(まさもと)さんと同級生で「ズッコケ三人組」のモデルでもある笹原さん。大きな体に優しい性格の「モーちゃん」です。「われわれは新憲法とともに育ってきた世代。那須さんの作品にもそれが表れている」▼核兵器禁止条約が発効してから初めて迎えるヒロシマ・ナガサキの日。「戦争被害や禁止条約に背を向け、国民にたいして責任を負ってこなかった政府の姿勢が国の土台を腐らせている。那須さんも望んでいた、市民と野党の共闘で政権交代を」と笹原さん。あの音から76年の誓いです。


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