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2019年2月11日(月)

主張

「建国記念の日」

明治以後の「伝統」から脱却を

 きょうは「建国記念の日」です。この日はもともと、天皇を神格化した戦前の「紀元節」を復活させたものです。

戦前の「紀元節」の復活

 「紀元節」は、明治政府が1873年、天皇の専制支配に神話による権威を与えるため、初代天皇とされる神武(じんむ)天皇の即位の日が紀元前660年2月11日だったとしてつくりあげたもので、なんの科学的・歴史的根拠もありません。そのため戦後、国民主権や思想・学問の自由、信教の自由と政教分離を定めた日本国憲法のもとで、1948年に廃止されました。

 ところが66年、当時の佐藤栄作内閣が祝日法を改悪して「建国記念の日」を定め、同年、政令でその日を2月11日と決めました。明治の「紀元節」を自民党政権がよみがえらせたのです。それは天皇元首化など憲法改悪や軍国主義復活の意図と結びついたものでした。日本共産党は一貫して「建国記念の日」反対を主張してきました。

 天皇一代に一つの元号をあてる「一世一元制」も、1868年に明治新政府が定めたものです。日本の歴史上、最初の元号は645年の「大化」だとされています。それから江戸時代まで、元号は天変地異などを機にしばしば改められました。つまり「一世一元制」も明治以後の「伝統」にすぎません。それが1979年の元号法制定によって固定化されたのです。

 今年は現天皇の退位に伴う「代替わり」があります。安倍晋三内閣は昨年4月、今回の「代替わり」儀式の「基本方針」を閣議決定しました。そこでは「各式典は、憲法の趣旨に沿い、かつ、皇室の伝統等を尊重したものとする」と記し、前回の「代替わり」儀式の「基本的な考え方や内容は踏襲されるべき」としています。この方針には重大なまやかしがあります。

 89年の昭和天皇から現天皇への「代替わり」では、戦前の登極令(とうきょくれい=09年)をほぼ踏襲した儀式が実施されました。それ自体、憲法の国民主権と政教分離の原則に反するものでした。

 安倍内閣は「皇室の伝統」の名で、それを踏襲しようとしています。しかし、幕末まで即位式は中国風の衣装をつけ、神仏習合的な形で行われていました。神道式に“純化”したのは、たかだか明治以後の百数十年のことです。

 今回「代替わり」儀式を5月と10月の2回行うのも、神話にもとづく「三種の神器」を受け渡す「践祚(せんそ)」の儀式と、大嘗祭(だいじょうさい)の神事と結んで日本国の統治権を継ぐ「即位」の儀式を、二つとも登極令から引き継いでいるためです。

 天皇は日本国憲法に規定された憲法上の存在です。新天皇の即位にあたっても、その行事は憲法の国民主権と政教分離の原則に沿って行われるべきです。安倍内閣が国会でまともに議論もせず、戦前の「代替わり」儀式を踏襲しようとしているのは問題です。

憲法に沿ったあり方を

 秋篠宮が昨年11月、宗教的儀式である大嘗祭について「国費で賄うことが適当か」と述べ、皇室の私費(内廷費)で行い「身の丈に合った儀式」にすべきだと語りました。この発言自体は憲法の原則にかなっています。

 国民の祝日や元号についても、明治政府がつくった「伝統」から脱却し、憲法原則にもとづいたあり方を考え、議論すべき時です。


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