戦後70年

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 「『戦後レジーム(=体制)からの脱却』が日本にとって最大のテーマであることは、私が前回総理を務めていた五年前と何も変わっていない」。著書『新しい国へ』(2013年発行)でこう宣言する安倍晋三首相。憲法改悪を公然とめざし、過去の侵略戦争と植民地支配を肯定・美化する歴史逆流の震源地となっている首相の歴史認識は、どこから生まれたのか―。第2部は、その黒い系譜を追います。 

(1) 侵略美化本と「英才教育」 

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(写真)1994年の「歴史・検討委員会」委員一覧に「安倍晋三」名が。写真は安倍首相

 『大東亜戦争の総括』(展転社)という大判の本があります。20年前の1995年8月15日、自民党の「歴史・検討委員会」が編集・発行しました。「大東亜戦争(=アジア・太平洋戦争)は正しい戦争だった」「南京大虐殺、『従軍慰安婦』はでっちあげ」だなどという侵略戦争美化論をまとめた本です。

安倍氏を〝抜てき〟

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(写真)『大東亜戦争の総括』の表紙

 なぜこの本が生まれたのか―。
 1993年8月、「非自民」連立の細川護熙政権が誕生。直後の記者会見で、細川首相はアジア・太平洋戦争について「私は侵略戦争であった、間違った戦争であったと認識している」と発言。これにたいして自民党内の右翼勢力、靖国関係3協議会(「英霊にこたえる議員協議会」「遺家族議員協議会」「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」)が強く反発、「東京裁判に毒された歴史観を建て直し、正しい歴史観を確立」しようと発足したのが「歴史・検討委員会」でした。
 この委員会に初当選(93年)したばかりの安倍氏が〝抜てき〟されて入るのです。
 この委員会は後に「新しい歴史教科書をつくる会」を立ち上げる西尾幹二氏や高橋史朗氏らを講師に「見解聴取、討議」をおこない、その結果を『大東亜戦争の総括』にまとめたのでした。

歴史認識引き継ぐ

 子どもと教科書全国ネット21事務局長の俵義文氏は、同委員会の役割について、「『大東亜戦争』はアジア解放の戦争といい、南京大虐殺や日本軍『慰安婦』をでっちあげだと理屈づけることでした」と指摘します。
 さらに「もう一つの役割」(俵氏)がありました。委員会の中心にいた奥野誠亮衆院議員(当時、元特高警察課長)、板垣正参院議員(当時、板垣征四郎=A級戦犯=の次男)など、「歴史改ざんでは筋金入りの戦前世代の議員の歴史認識を、安倍氏など若手議員に引き継ぐことです。安倍氏は、後に『日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会』(「教科書議連」)を担う若手議員とともに、歴史わい曲の『英才教育』を受け、そのリーダー格になっていくのです」と指摘します。
 (つづく)
(2015年1月17日)


(2) 「教科書議連」足場に台頭 

 安倍晋三首相が台頭する舞台となったもう一つの議員連盟が、1997年に結成された「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(略称「教科書議連」)です。日本の侵略戦争と植民地支配を肯定する歴史認識によって、子どもたちの教育を支配しようとつくられました。

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(写真)2011年の教科書議連再スタートの際、安倍氏のあいさつを報じる「教育再生機構」の広報誌。同ホームページから

 自民党の当選5回以下の議員を中心に衆参87人の議員が参加して結成。会長は中川昭一議員(2009年死亡)、幹事長は衛藤晟一議員(現首相補佐官)でした。安倍氏はその事務局長に就きます。
 「教科書議連」は97年3月~6月、19人の講師を招き9回の「勉強会」を開き、それをまとめて『歴史教科書への疑問』(展転社)を出版しました。

河野氏に撤回迫る

 教科書ネット21の俵義文氏は「講師の多くは教科書議連メンバーと考えを同じくする人物です。一方、同議連メンバーと意見を異にする講師には激しい詰問・追及をおこないました」とのべます。「慰安婦」問題で旧日本軍の関与と強制性を認めた談話を発表した河野洋平元官房長官も「会」に呼びつけて、「確たる証拠もなく強制性を先方(=韓国)に求められるままに認めた」などと非難し撤回を迫ったのです。
 同書で安倍事務局長も、河野談話を「事実より外交上の問題を優先し、また、証言者16人(=日本政府が聴取した元「慰安婦」)の聞き取り調査を、何の裏付けも取っていないにもかかわらず、…発表したものであることも判明しました」などと非難しました。
連載2-2用.jpg 「当時の軍を中心とする政府の関与があった」ことを、「慰安所規定」など当時の文献も示して説明した石原信雄元官房副長官にたいしても、安倍氏は「強制的に連れて行かれた」なら周囲はその事実を知っているはずだなどと「強制連行」にのみ話を狭めようとします。

なぜ13年で首相に

 第3次安倍内閣には、97年当時の「教科書議連」から8人の議員が入閣しています。
 「教科書議連」を足場に、04年に党幹事長だった安倍氏は「国家的重要課題」として地方党組織に「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書採択に全力をあげるよう通達。安倍政権と「教科書議連」は今日につづく教科書攻撃・歴史改変の教科書採択の震源地になっています。
 さらに右翼改憲団体の総本山・日本会議と連携する「日本会議国会議員懇談会」が97年に結成され、安倍氏は結成時から参加し中心になって活動します。
 「安倍氏が議員になってたった13年で首相になれたのは、まさにこうした議連や仲間にリーダーとして支えられたから。最右翼の議員グループと、民間の改憲勢力が支持基盤なのです」と俵氏は指摘します。
 (つづく)
(2015年1月18日) 


(3) メディア支配への欲望 

 安倍晋三氏にとって、侵略戦争を肯定・美化する歴史認識に立って、教科書攻撃をした「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(「教科書議連」)の活動は〝過去〟のものではありません。

否定する運動一貫

 昨年10月3日の衆院予算委員会。朝日新聞の「慰安婦」問題での訂正報道に関連して、首相はつぎのようにのべたのです。

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(写真)安倍氏らのNHK番組介入を報じた「しんぶん赤旗」2005年1月13日付

 「中川(昭一)さん(元議連会長)を中心に教科書に事実であるかのごとく強制連行を書かれるのはおかしいという運動を展開してきた。ずいぶん時間はかかったが、だんだん強制連行の記述はなくなっていった。さすがに朝日新聞も、この段階においては認めざるをえなくなった、こういうことだろう」
 勝ち誇ったかのような発言は、旧日本軍の関与と強制性を認め、謝罪した「河野談話」を否定する運動が首相のなかで一貫していたことを示しています。そこには、「慰安所」での強制使役=性奴隷状態という本質を無視し、「官憲による人さらい」のような「強制連行」だけに問題をわい小化する、国際的に通用しない立場が現れています。
 2000年から01年にかけても、首相は歴史改ざんのメディア介入事件を起こしています。01年1月30日に放映されたNHK教育の番組「ETV2001シリーズ 戦争をどう裁くか」の第2回「問われる戦時性暴力」が、政治家の圧力を受けて作り変えられた問題です。

骨抜きとつぶしに

 「日経」記者出身でジャーナリストの阿部裕氏は、「この『女性国際戦犯法廷』の放送は真正面から、日本軍『慰安婦』をはじめ戦争犯罪をとりあげたものでした。内部の通報によってそれを知った安倍氏、中川氏はみずからの政治生命にかかわる問題として骨抜きとつぶしにかかりました」と指摘します。
 実際、05年1月の記者会見で当時のNHK理事は、安倍氏に番組内容を説明したと表明。その理由を、安倍氏らが「教科書議連」の幹部であり、そのなかで番組のことが話題になっていたことをNHK幹部が知っていたため、と説明します。
 この事件は安倍氏の考えに近い人物のNHK経営委員への選任、籾井勝人会長の選出(昨年1月)への伏線となっています。
 阿部氏は指摘します。「第1次政権が失敗した主な原因を『メディア対策』と『官僚の離反』に求めた安倍氏らは、『特ダネ提供』と冷遇という差別・情報操作による『対策』を強化しました。その最中に『朝日』の『慰安婦』検証問題が起きて、戦前・戦中のような翼賛的状況を再現した。これには、欧米の政権やメディアも『戦後秩序の否定』につながると警告したのです」
 (つづく)
(2015年1月19日) 


(4) 祖父・岸「栄光」の実態 

 安倍晋三首相は、「祖父の場合は、先の大戦に至る前の、ある意味では日本が大変飛躍的な前進を遂げた〈栄光の時代〉が青春」だったといい、祖父から「少なからず影響を受けた」(『「保守革命」宣言』)と認めます。
 母方の祖父・岸信介とはどんな政治家で、〈栄光の時代〉とは何だったのでしょうか。

北一輝らから影響

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(写真)1941年10月に成立した東条内閣(前列左から2人が東条首相、2列目左から2人目が岸信介)。出典:ウィキメディア・コモンズ

 岸は1920年に農商務省(当時)に入省し、ドイツで学んだ統制経済の手法を日本に導入し、天皇中心の国家改造をめざす「革新官僚」として台頭し、軍部との結びつきを深めます。
 思想的には学生時代に、天皇中心の「国家社会主義」を唱えた北一輝らの影響を受け、「彼(北一輝)の『国家改造案(原理大綱)』が秘密出版されたとき、僕は夜を徹して筆写した」(原彬久編『岸信介証言録』)ほどでした。
 日中全面戦争が始まる1年前(36年)に日本のかいらい国家「満州国」に渡り、産業部次長(大臣の次席、大臣は実権のない「満州人」)になり国家統制経済の実験場として経済を指導します。「満州国」を事実上支配する関東軍参謀長の板垣征四郎(A級戦犯で死刑)や、その後継の東条英機(後に首相、同じく死刑)など多様な「満州人脈」をつくります。
 新興財閥の日産(日本産業)の鮎川義介や、「満州」で諜報謀略活動をしてのちに「満州映画協会」理事長となる甘粕正彦元憲兵大尉などもその人脈です。岸はこれを利用し、政策を実現していくと同時に、莫大なお金を動かします。

アヘン売買疑惑も

 岸の部下だった古海忠之主計処長(当時)は「要するに特務(諜報謀略活動)だな。この甘粕のために岸さんが一千万円(現在の金額で85億円)つくってやったことがある」(岩見隆夫『新版・昭和の妖怪/岸信介』)といいます。莫大な資金の陰にはアヘン売買の疑惑がありました。古海は「アヘンは私と里見(=謀略者の一人)がすべて取り仕切っていた」(同)と証言しています。
 岸は「動機が悪くても結果がよければいいんだと思う。…満州を振り返ってみると、下手ではあるかもしれんが、俺の描いた作品が満州にずっと残る」(同『証言録』)と侵略地での統制経済を自慢します。
 岸は、41年10月に商工大臣(東条内閣)に就任。12月に日本はアジア・太平洋戦争を起こします。42年3月の会議で戦争遂行のためには、「先ず産業経済のあらゆる分野における真の総力戦態勢の確立強化が緊要である」と演説。その後、対米戦の軍用機増産のためにできた軍需省の次官となるなど戦争を推進していきました。
 安倍首相がいう〈栄光の時代〉は、日本が侵略戦争に突き進んだ時代であり、その戦争推進の中心人物の一人が岸だったのです。
 (つづく)
(2015年1月20日) 


(5) 岸の人脈・金脈と改憲 

 ポツダム宣言を受諾し、日本が敗戦した翌月(1945年9月)に、安倍晋三首相の祖父・岸信介は、A級戦犯容疑者として逮捕されます。岸は勾留中に「大東亜戦争を以て日本の侵略というは許すべからざるところなり」(「断想録 巣鴨獄中にて」)と、アジア・太平洋戦争が侵略戦争だったことを否定していました。

「満州人脈」が支え

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(写真)60年安保闘争で国会をとりまくデモの波

 連合国の中心・アメリカの対日政策の転換によって3年間の勾留後、岸は不起訴となります。戦争責任の追及を弱め、日本の反共戦犯勢力を温存する方針への転換でした。岸自身が東京裁判の「起訴も一回だけで二回目がなかったのは、米ソ冷戦のため」(原彬久編『岸信介証言録』)と語っています。こうしたアメリカの対日政策の転換に助けられて、岸は政界に復帰します。
 勾留中から岸を支えたのは、「満州」時代以降の人脈でした。
 戦前一貫して岸の下で働いた椎名悦三郎(後に外相、自民党副総裁)は、岸の勾留中に、連合国軍総司令部(GHQ)に、岸釈放を求める上申書を提出(45年11月)。
 日商会頭として戦時経済統制で岸に協力した藤山愛一郎(岸内閣で外相)が社長・役員をつとめる日東化学(現三菱レイヨン)や、東洋パルプ(現王子ホールディングス)の要職も岸のために用意されていたといいます。(『岸信介回顧録』)
 53年4月、自民党の前身の自由党から衆院選に出馬し、当選。12月に党内の憲法調査会会長になり、改憲派のリーダーとなります。

やり残した〝使命〟

 57年に首相に就任した岸は「いまの憲法は不適当であり、改正しなければならない。…宣伝、教育をしていかなければならないと覚悟していました」(同『証言録』)と首相就任当時から改憲を考えていました。渡辺治一橋大学名誉教授は「岸がめざしたのは、没落した戦後日本の『帝国』としての復活です。そのための改憲でした」と述べます。
 岸は58年、弟の佐藤栄作蔵相(当時)を使い、憲法改定、共産党対抗のための秘密資金を米政府・CⅠA(中央情報局)に要請したことが米側文書で明らかになりました。(本紙1994年10月16日付)
 岸は60年の日米安保条約改定をすすめ、戦後最大と言われる安保改定反対の国民的大運動によって、首相辞任に追い込まれました。
 安倍氏はこうした祖父の足跡を振り返り、「安保改定にすべてのエネルギーを使ってしまい、憲法改正はできなかった…。(憲法改正は)犠牲になってきたのです」(『安倍晋三対論集』)と残念がります。そして、祖父のやり残したことを自らの使命とし、その遺志をついでいるのです。
 渡辺氏は「安倍氏にとって岸信介は、戦前の『大国日本』を知り、その復活を目指した政治家として、安倍氏自身の政治方向を指し示す『羅針盤』となっています」と指摘します。
 (つづく)
(2015年1月22日) 


(6) 支える極右・日本会議 

 10人あまりの児童とその母親が舞台に立ち「朕惟ふに我が皇祖皇宗…」と「教育勅語」の全文を暗唱します。会場の聴衆から割れんばかりの拍手…。昨年12月、東京都内で行われた「殉国七士に捧げる追悼コンサート」の一場面です。殉国七士とは、東京裁判で死刑になった東条英機などA級戦争犯罪人のことです。発起人代表で評論家の加瀬英明氏は「東京裁判は合法をよそおった殺人」と言い放ちました。

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(写真)改憲組織「美しい日本の憲法をつくる国民の会」設立を報じる日本会議機関誌昨年11月号と、今年1月号

 こうした復古的集会を主導しているのが、改憲右翼団体の総本山・日本会議です。新たな改憲運動組織「美しい日本の憲法をつくる国民の会」でも中核に座っています。

宗教系団体が合流

 第3次安倍内閣の19人の閣僚中、8割が日本会議国会議員懇談会に参加。首相自身、その特別顧問を務めています。
 安倍内閣は「日本会議内閣」といっても過言ではありません。
 同政権について詳しい中北浩爾一橋大学教授(政治学)は、「自民党は1991年をピークに党員数を減少させています。利益誘導が以前のように通用しなくなり弱体化しています。さらに政権から転落した経験から、支持基盤を強化するためにイデオロギー色を強め、右派的な組織とのつながりを深めてきました」と指摘します。
 日本会議は97年、「日本を守る国民会議」と宗教系右翼団体「日本を守る会」が合流してできました。「日本を守る国民会議」(81年設立)は、元号法制化を求める運動で効果をあげた地方議会での支持決議促進などを重視した右派文化人を中心とした団体。一方、「日本を守る会」(74年設立)は財政力と動員力を持つ神社本庁など宗教団体で構成されていました。

国政の場に影響力

 日本会議の特徴について渡辺治一橋大学名誉教授は「これまで右派団体は現実政治に具体的な影響を及ぼすことは少なかった。いま自民党内で中堅右派議員が結集することで、日本会議は、皇位継承問題や外国人の人権問題で圧力団体として力を発揮しています」といいます。
 民間の極右団体の主張が国会の議連を通じて、国政に持ち込まれているという異常な事態が起きています。
 中北氏は「日本会議の右寄りの主張は、国民の支持をあまり得られていません。それが復古的改憲を目指す安倍政権の最大のジレンマです」と指摘します。
 (つづく)
(2015年1月23日) 


(7) 靖国参拝になぜ固執 

 安倍晋三首相は2013年12月、東京・九段の靖国神社に参拝しました。その後も「内閣総理大臣」として供え物の真榊や玉串料の奉納を続けています。内外の批判にたいし、首相は「(参拝は)心の問題、信仰の問題、生き方の問題だ」(14年12月、日本記者クラブの党首討論)と無反省な発言をくりかえしています。

侵略美化を宣伝

 改憲右翼団体の総本山・日本会議は、13年の首相参拝について、中断されていた靖国参拝を「復活したことを高く評価したい」とし、「参拝を是非とも継続されんことを」(14年8月の声明)と連続参拝を求めています。
 靖国神社は東条英機元首相らA級戦犯を合祀しているだけでなく、併設された軍事博物館「遊就館」を中心に、侵略戦争を美化・正当化する宣伝センターの役割を果たしています。
 安倍首相が参拝にこだわるのは、その戦争観とかかわっています。「日本のために、国のために殉じた御英霊に対して尊崇の念を捧げることは当然のこと…国が危機に瀕したときに命を捧げるという人がいなければ、この国は成り立っていかない」(04年11月、靖国神社崇敬奉賛会主催第6回公開シンポジウム)とも発言します。
 中島三千男神奈川大学教授は「靖国神社は『英霊』を慰める、いわゆる慰霊だけを目的にした神社ではありません。むしろ、戦死者をほめたたえ、同じように国のために命を捧げる国民を創るための神社なのです」と指摘します。
 戦前、日本が侵略戦争をすすめる中で、国民を天皇崇拝で統合した国家神道は敗戦の後、政教分離の原則によって解体されます。しかし、その中心の靖国神社は存続し、戦後も戦没者の合祀はつづけられます。自民党右翼グループは、靖国神社の国家護持=国家管理を求める運動を起こし、それが挫折すると政府が靖国神社にお墨付きを与える「首相の靖国公式参拝」を求めます。

天皇参拝めざす

 日本会議などの極右勢力は、首相が連続参拝することで、天皇の参拝を実現しようとしています。
 遊就館内に事務所がある「英霊にこたえる会」は「三権の長等の靖国神社公式参拝に関する請願書」で「靖国神社への(天皇)御親拝を閉ざしているのは歴代内閣総理大臣の…不決断にある」(1999年7月15日付「日本遺族通信」)といいます。首相とともに最高裁判所長官、衆参両院議長が靖国に参拝し、天皇参拝を実現することを目指しています。
 靖国参拝を天皇を含むすべての国家機関が参加する一大国家行事にして、「日本の戦争は正しかった」という戦争観を日本の国論にしようという野望です。
 (第2部、おわり)
 (山沢猛、若林明が担当しました)
(2015年1月25日) 

 

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