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2021年9月12日(日)

主張

報復戦争と日本

米国追従の海外派兵と決別を

 2001年9月11日の米同時多発テロへの報復戦争をアフガニスタンで始めた米軍が8月末に撤退を完了し、20年にわたる「米史上最長の戦争」が終結しました。一方で、報復戦争によって政権を追われたイスラム組織タリバンが今またアフガンの実権を握っています。この20年で明白になったのは、報復戦争は罪のない多くの人々の犠牲を生み、テロの根絶にも逆行するということです。この戦争で日本の米軍基地は出撃・補給拠点となり、自衛隊もインド洋で給油活動を実施するなど米軍を支援しました。今、その根本的な反省が求められています。

地球規模の軍事同盟へ

 01年10月7日に開始された報復戦争で、米海軍横須賀基地(神奈川県)を母港にしていた空母キティホークはアラビア海に展開し、アフガンに潜入する特殊作戦部隊と輸送ヘリの洋上基地になりました。艦載機のFA18戦闘攻撃機は空爆に参加し、約100発の爆弾を投下したとされます。

 横須賀基地を母港にしていた駆逐艦オブライエンも攻撃初日にアラビア海から巡航ミサイル・トマホークを発射しました。米海兵隊岩国基地(山口県)のFA18戦闘攻撃機部隊は翌02年3月~6月までアフガンでの地上戦闘部隊への支援のため空爆を行いました。

 このほか、米空軍の三沢基地(青森県)や横田基地(東京都)などからも、航空管制や後方支援の要員が派遣されました。

 当時の小泉純一郎・自公政権は、米国の報復戦争を無条件で支持し、在日米軍基地からの出撃を容認したのはもちろん、海上自衛隊の護衛艦で「警戒監視」を名目に横須賀基地を出港した空母キティホークの護衛を脱法的に行いました。ブッシュ米政権から「ショー・ザ・フラッグ(旗幟〈きし〉を鮮明にせよ)」と圧力を受け、米艦船などへの補給を可能にするテロ特別措置法を成立させ、自衛隊初の戦時派兵としてインド洋に海自の補給艦や護衛艦を派遣しました。

 01年11月に始まった補給活動は10年1月まで続き、海自の艦船のべ73隻、人員のべ約1万3300人が送られました。米軍を中心に12カ国の艦船に計939回、約51万キロリットルの給油などを行いました。アフガンにミサイル攻撃や空爆をする米艦船などへの支援であり、文字通りの参戦でした。

 テロ特措法は、日米安保条約を実質改悪し日本周辺地域の米軍支援を定めた周辺事態法でも対応できないために制定され、地球規模の日米軍事協力に道を開きました。03年からのイラク侵略戦争を支援するイラク特措法をへて、15年には時限立法ではない恒久法として安保法制が強行されます。

海外で戦闘の危険増大

 安保法制は、テロ特措法やイラク特措法でも認めなかった「戦闘地域」での米軍などへの後方支援(兵站〈へいたん〉)をできるようにしました。戦乱が続く地域での治安活動も盛り込み、アフガンに展開した国際治安支援部隊(ISAF)のような活動への参加も可能です。米軍が海外で起こす無法な戦争に自衛隊が参加し、武力行使する危険がかつてなく増大しています。

 報復戦争はテロを拡散し、戦争の拡大を招く―。このことを痛切な教訓にして、米国追従の海外派兵路線と決別する政治への転換が急がれます。


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