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2020年3月22日(日)

改定綱領学習講座(1)

改定綱領が開いた「新たな視野」〈1〉

志位委員長の講義

 日本共産党の志位和夫委員長が14日、党本部で行った講義「改定綱領が開いた『新たな視野』」の内容を4回にわたって紹介します。今回は冒頭のあいさつと「はじめに」、第1~2章を掲載します。次回は29日付に掲載する予定です。

本日付

 一、綱領一部改定の全体像――党大会の結語での理論的整理

 二、中国に対する綱領上の規定の見直しについて

29日付予定

 三、植民地体制の崩壊を「構造変化」の中心にすえ、21世紀の希望ある流れを明記した

4月5日付予定

 四、資本主義と社会主義の比較論から解放され、本来の社会主義の魅力を示すことが可能に

4月12日付予定

 五、社会主義革命の世界的展望にかかわるマルクス、エンゲルスの立場が押し出せるように

写真

(写真)講義する志位和夫委員長=14日、党本部

 全国のみなさん、おはようございます。これから講義を始めます。

 冒頭、新型コロナウイルス感染症から国民の命・健康・暮らしを守る取り組みに、国会議員団、地方議員団、全党が協力して、全力をあげる決意を申し上げたいと思います。「国民の苦難を軽減し安全を守る」という立党の精神にたった取り組みに、全力をあげることを心から呼びかけるものです。

 同時に、感染防止の対策に最善をつくしつつ、強く大きな党をつくる活動に、落ち着いて、積極的に取り組むことが必要であります。

 その一つとして、今日は、「改定綱領が開いた『新たな視野』」と題して、学習講座を行います。新型コロナ対策を考えて、当初の企画を変更し、「オンライン講座」として取り組むことにしました。昼食休憩をはさんで、正味約5時間を予定しております。がんばって話しますので、楽しんでお聞きください。どうか最後までよろしくお願いいたします。

はじめに――駐日大使館の方々からの二つの感想

 昨年11月の第8回中央委員会総会で綱領一部改定案が発表されて4カ月、今年1月の党大会から2カ月がたちました。改定綱領に対して、党内外で大きな積極的反応が広がっています。

 私たちは大会後、駐日大使館の方々と、決定をお持ちして懇談する機会がありましたが、いくつかの感想を紹介します。

 ある大使館の方はこういう感想をのべられました。

 「世界情勢の分析が深く、ユニークで、大国に保留がない点で、歴史的に独立心の強い共産党ならではの非常に興味ある、他では聞けない政治報告だった」「教条から解放されて、マルクス主義を元に戻す試みをしているようにみえる。刷新性、先駆性、理論的深さをもちながら、慎重であると同時に、大胆な政治的な提起をする。そうした関心が強く惹(ひ)かれる共産党という印象をもった。今後も、交流を続けていきたい」

 別の大使館の方からはこういう感想が寄せられました。

 「世界で最も先進的な課題であるジェンダー平等と気候変動を重視していることに注目した。世界の変化に敏感に反応している政党であることを示している。香港についても、ウイグルについても、中国のすべての問題についてはっきりと言及・批判していて、びっくりした。日本共産党はユニークだ。中国について検討した結果、改定綱領になったのはいいことだと思う」

 よく特徴を捉えていただいていると思います。大国に正面からモノをいう自主独立の立場、世界情勢を深く分析し、その変化に敏感に対応している政党、世界の他の共産党には見られないユニークな政党――私たちの改定綱領の核心部分に注目と評価が寄せられていることは、うれしいことではないでしょうか。

 綱領一部改定の内容と意義については、すでに8中総での提案報告と結語、党大会での綱領報告と結語のそれぞれでのべています。今日の講義は、それらを前提にして、できるだけ重複を避けつつ、お話を進めていきたいと思います。

一、綱領一部改定の全体像――党大会の結語での理論的整理

全党討論を踏まえた党の認識の到達点

 まず講義の第1章です。綱領一部改定の全体の特徴をどうつかむかという問題についてのべたいと思います。

 8中総と大会での綱領問題での報告・結語のなかでとくに注目して読んでいただきたいのは、大会での結語の最後の部分――「中国に対する綱領上の規定の見直しは、綱領全体に新たな視野を開いた」とのべた部分です。

 中国に対する綱領上の規定の見直しと、綱領全体の組み立ての見直しとの関連をどうつかむか。これはたいへんに大切な問題です。

 私は、この問題について、8中総の提案報告で、「この改定(中国にかかわる綱領の規定の削除)は、この部分の削除にとどまらず、……綱領の世界情勢論の全体の組み立ての一定の見直しを求めるものとなりました」とのべました。党大会の綱領報告でも、「中国に対する認識の見直しは、綱領全体の組み立ての見直しにつながった」とのべました。二つの報告のそれぞれで指摘をしてきた問題でした。

 ただ、私は、報告を行いながら、率直に言って、中国に対する規定の見直しと綱領全体の組み立ての関連について、もう一つ理論的な整理が必要だと感じていました。それが、大会の討論を聞いて、提案者としての認識がより深まり、すっきりと整理されたなという認識を得ることができました。

 そこで大会の結語では、「さらに少し踏み込んで、理論的な問題を整理」してのべました。「中国に対する綱領上の規定の見直しは、綱領全体に新たな視野を開いた」として、三つの点を強調しました。これは、全党討論と大会での討論をふまえた党の認識の到達点を、ぎゅっと詰まった形で――凝縮した形でのべたものになったと思います。

綱領一部改定の作業のプロセスについて

 ここで、綱領一部改定の提案者として、作業のプロセスをお話ししたいと思います。少し舞台裏のような話になりますが、今日は、率直に、報告しておきたいと思います。その出発点は、中国に対する綱領上の規定を見直すことにありました。

 わが党は、2004年の綱領改定で、中国などについて次の規定を行いました。

 「今日、重要なことは、資本主義から離脱したいくつかの国ぐにで、政治上・経済上の未解決の問題を残しながらも、『市場経済を通じて社会主義へ』という取り組みなど、社会主義をめざす新しい探究が開始され、人口が一三億を超える大きな地域での発展として、二一世紀の世界史の重要な流れの一つとなろうとしている」

 この規定は、綱領改定の当初は、合理的な規定でした。

 しかし、その後の中国の変化と現状にてらして、それを削除することが急務となってきました。端的に言いますと、この規定が綱領の生命力にとっての桎梏(しっこく)――手かせ、足かせに転化してきた。たとえば私たちが、綱領講義をするにしても、国民のみなさんに綱領を説明する場合にも、ここが一番の難所になっていたのではないでしょうか。これは私たちの責任ではなくて、中国の変化によってそうなったのであります。私たちは、そのことを強く感じ、ここから改定の作業をスタートさせました。

 この作業を始めてみますと、この規定の削除は、削除すればすむという問題ではないことが明らかになってきました。中国に対する規定は、綱領全体の組み立てにかかわっており、その削除は、綱領全体の見直しを求めるものとなりました。そして、そこを突き詰めて作業をしてみますと、綱領一部改定は、作業開始当初の問題意識からはるかに大きく発展することになりました。中国に対する規定の削除は、21世紀の世界の展望、未来社会の展望にかかわって三つの点で「新たな視野」を開くものとなったのであります。

 第一は、20世紀に進行した「世界の構造変化」の最大のものが、植民地体制の崩壊と100を超える主権国家の誕生にあることを綱領第7節で綱領上も明確にするとともに、新たに綱領第9節を設け、この「構造変化」が、平和と社会進歩を促進する生きた力を発揮しはじめていることを、核兵器禁止条約、平和の地域協力、国際的人権保障などの諸点で具体的に明らかにしたことです。

 第二は、資本主義と社会主義との比較論から解放されて、21世紀の世界資本主義の矛盾そのものを正面から捉え、この体制をのりこえる本当の社会主義の展望を、よりすっきりした形で示すことができるようになったことであります。

 第三は、綱領の未来社会論にかかわって、「発達した資本主義国での社会変革は、社会主義・共産主義への大道」という、マルクス、エンゲルスの本来の立場を、綱領で堂々とおしだすことができるようになったということであります。

 こうして、三つの点で、「新たな視野」がグーンと開けてきたのです。

 大会の結語ではこの3点を総括して次のようにのべました。

 「中国に関する規定の削除は、綱領の全体の組み立ての根本的な見直しにつながり、綱領にきわめて豊かな内容を付け加えることになり、その生命力をいっそう豊かなものとする画期的な改定につながりました」

 これは全党討論と大会での討論をへた私たちの強い実感でありました。

 今回の綱領一部改定について、「一部改定というが大きな改定だ」「綱領路線の大きな発展を感じる」という感想が多く寄せられました。それは偶然ではありません。今回の改定は、綱領の世界論、未来社会論の根本的な考え方にかかわる大きな改定といえると思います。この改定によって、世界の見晴らしがグーンとよくなり、未来社会の見晴らしもグーンとよくなったということが言えるのではないでしょうか。

 こうした綱領一部改定の理論的な関連の全体をつかみ、たたかいに生かしていくことがたいへんに大切です。

 そこで今日の講義では、いまお話しした大会の結語での理論的整理にそくして、綱領一部改定の全体の内容を再構成するという形で、お話ししていきたいと思います。改定綱領と科学的社会主義の古典との関係など、8中総や大会では時間の制約からお話しできなかった点も多々あります。そういう点も含めて、今日は明らかにしていきたいと思います。

二、中国に対する綱領上の規定の見直しについて

 講義の第2章に進みます。

 中国に対する綱領上の規定の見直しについてのべます。

 中国に対する綱領上の規定の見直しにいたるわが党の認識の発展は、どのようなものだったのか。それを今日はお話ししたいと思います。この20年余の日中両党関係の歴史を振り返って、私自身の体験を含めて、まとまってのべておきたいと思います。

2004年の綱領改定――「社会主義をめざす新しい探究が開始……」と規定

 2004年の綱領改定のさい、わが党は、中国について、「社会主義をめざす新しい探究が開始」されている国という規定を行いましたが、そういう規定をしたのは何よりも1998年の日中両共産党の関係正常化と、それ以降の数年間の一連の体験にもとづくものでありました。

1998年の両党関係正常化――ここまで踏み込んだ干渉への反省は世界に例がない

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(写真)胡錦濤政治局常務委員(国家副主席)と会談する不破哲三委員長、志位和夫書記局長=1998年7月20日、北京市・釣魚台国賓館

 1966年、毛沢東によって発動された「文化大革命」と一体に、日本共産党に対する乱暴な干渉と攻撃が開始されました。

 毛沢東は、このときに、「日中両国人民の四つの敵」ということを言いました。「四つの敵」というのは、「アメリカ帝国主義、ソ連修正主義、日本共産党、日本の反動派」――これを「四つの敵」と規定したのです。「四つの敵」の一つに、アメリカ帝国主義と並んで日本共産党を数えあげて、これを干渉の指導原理にして、激しい攻撃を行いました。両党関係は32年間にわたって断絶しました。

 1998年の関係正常化にいたる両党会談で、中国共産党は、「我をもって一線を画し、日本共産党を『両国人民の敵』と規定した」ことが32年前の誤りだったことを認めました。これは「四つの敵」論という干渉の指導原理そのものの誤りを認めたものでした。中国は、過去の干渉の誤りをその核心部分で認めたうえで、両党共同文書で「真剣な総括と是正をおこなった」と表明しました。中国の当時の指導部は、これを、テレビや新聞で国民に周知する対応をとりました。こうして両党関係が正常化されました。

 実は、ここまで踏み込んで中国が外国に対して歴史的な反省を明らかにした例は、世界に他に一つもありません。中国側がヨーロッパの共産党などとの間で断絶状態を清算して関係を回復した例は多くありますが、その時の合言葉は、「お互い、過去は水に流そう」というあいまいなものでした。わが党との関係でも、1980年代、鄧小平の時代に、中国は関係改善を求めてきましたが、その時も中国側は、「お互い、過去は水に流そう」と言ってきました。中国側からすれば水に流してすむかもしれないけれど、日本側は水に流してすませるわけにはいきません。わが党は、きっぱりこれを拒否しました。こういうあいまいな決着を許さず、1998年の関係正常化のさいに干渉の誤りを根本から認めさせたことは、日本共産党の不屈の自主独立のたたかいの重要な歴史的成果だったと思います。

 同時に、こうした体験を通じて、私たちは、当時の中国の党指導部の態度に、「真剣さ、誠実さ」を強く感じました。

 この体験および、その後数年間の交流の体験を通じて、わが党は、当時の中国指導部の社会主義の事業に対する「真剣さ、誠実さ」を評価し、綱領改定での先にのべた規定を行いました。その国の指導勢力が社会主義の事業に対して「真剣さ、誠実さ」をもっていれば、さまざまな制約や困難があっても、それをのりこえてこの事業を前進させることができるだろう。わが党はそう考え、綱領に中国に対する肯定的な評価を明記しました。この綱領の規定には合理的な根拠があったと考えるものです。

人権と民主主義の問題――両党会談で率直に提起した

 ただしこれは方向性についての規定であって、その国で起こっているすべてを肯定するものではないということを、私たちは、綱領に「政治上・経済上の未解決の問題を残しながらも」という「ただし書き」を書き込んで明確にしました。

 たとえば民主主義と人権の問題は、関係正常化の時点でも、見過ごすことのできない問題でした。1998年の両党会談で、不破哲三委員長(当時)は、胡錦濤政治局常務委員・国家副主席(当時)との会談で、1989年に天安門で引き起こされた血の弾圧について、「平和的な運動を武力行使でおさえることは、社会主義的民主主義とは両立しえない暴挙だと指摘」したと、わが党の立場を伝えました。さらに、中国の政治体制の将来について次のような提起を行いました。

 「将来的には、どのような体制であれ、社会にほんとうに根をおろしたといえるためには、言論による体制批判にたいしては、これを禁止することなく、言論で対応するという政治制度への発展を展望することが、重要だと考えます」

 私は、その場に同席していましたが、不破委員長のこの言葉を印象深く思い出します。中国に対して、こうした提起を正面きって行った党は、世界に他にないと思います。

 胡錦濤氏は、「天安門事件について、私たちはあなたがたと立場と意見が異なります。……あのとき私たちがあのような措置をとらなかったら、中国の今日の安定と発展はなかったでしょう」と答えました。それ以上の反論はしませんでしたが、天安門での弾圧を肯定する立場に変わりはありませんでした。

 私たちが綱領で、さきにのべた「ただし書き」を明記したのは、こうした問題も含めて、多くの未解決の問題が存在するということを感じていたからでした。

 私たちは、こうした問題点を直視し、率直に、また適切な形で指摘しつつ、中国が社会主義をめざす事業で成功をおさめてほしいという期待をもって、中国との交流を再開しました。

その後の中国の変化――この10年余のわが党の体験と対応について

 しかし、その後、とくにこの10年余、中国で看過できない問題点があらわれてきました。この10年余、わが党がどういう体験をし、どういう対応をしてきたのか。今日は、これまで公表してこなかった事実を含めて、まとまって報告しておきたいと思います。

チベット問題、劉暁波氏問題――看過しがたい国際的な人権問題が

 まず私たちが看過できない問題点と感じたのは、中国における人権問題でした。

 2008年4月、チベット問題が国際問題になりました。騒乱・暴動の拡大と、それへの制圧行動によって、犠牲者が拡大することが強く憂慮される事態となりました。私は、胡錦濤主席(当時)あてに書簡を送り、「中国政府と、ダライ・ラマ側の代表との対話による平和的解決」を要請しました。

 ちょうどその当時、来日した楊潔篪(よう・けつち)外相(当時)との会談でも、私はわが党の立場を伝えました。私が、会談のなかでこの問題を切り出しますと、会談全体が強い緊張に包まれたことを今でも鮮明に記憶しています。楊外相は、ダライ・ラマ側が、「暴力によって中国を分裂させ、中国共産党の指導をくつがえそうとしている」として、対話による解決を拒否する態度を示しました。私はそれに対して、「そうした問題も含めてテーブルにのせて交渉による解決を」と重ねて要請しましたが、会談は平行線でした。この問題の根深さを痛感した会談となりました。

 続いて、2010年11月、作家の劉暁波氏がノーベル平和賞を受賞したことに中国が激しく反発し、国際問題になりました。私は、「赤旗まつり」の記念演説で、この問題について、中国自身が認めた一連の人権保障についての国際的な取り決めを具体的に指摘し、「中国が、これらの国際的到達点に立ち、人権と自由の問題に対して、国際社会の理解と信頼を高める対応をとることを強く望む」と表明しました。

 この「赤旗まつり」には、中国大使館から来賓として大使館の方が参加していました。私の発言の内容は、中国大使館からの来賓に会場で直接聞いてもらうという形で、中国側に伝達をしました。

 こうして、人権問題が連続的に問題になり、私たちは重大な懸念をもちました。

東シナ海と南シナ海――あらわになった覇権主義的な行動

 次に重大問題となったのが、東シナ海と南シナ海における力による現状変更を目指す動き――覇権主義的な行動でした。

 東シナ海の尖閣諸島をめぐる紛争が深刻になっていきました。中国が、尖閣諸島の領海に初めて公船を侵入させる行為をとったのは2008年12月のことですが、この時期から緊張が徐々に高まっていきました。

 2010年9月、中国漁船と海上保安庁巡視船の衝突事件が起こりました。わが党は、事態を憂慮し、同年10月に「見解」――「尖閣諸島問題 日本の領有は歴史的にも国際法上も正当――日本政府は堂々とその大義を主張すべき」を発表し、日本の領有の正当性を全面的に明らかにしました。その「見解」の中で、「中国政府に対しても、今回のような問題が起こった場合、事態をエスカレートさせたり、緊張を高める対応を避け、冷静な言動や対応をおこなうことを求める」と表明しました。この「見解」は、中国大使館を通じて、中国政府にも伝達しました。しかし、事態は悪化していきました。

 2012年9月、日本政府による尖閣諸島の「国有化」を契機に、中国側は領海侵犯を含む接続水域入域を激増させました。わが党は、同年9月、「提言」――「外交交渉による尖閣諸島問題の解決を」を発表し、「物理的対応の強化や、軍事的対応論」を「日中双方ともに、きびしく自制する」ことを求めました。私は、中国の程永華大使(当時)との会談で、「提言」を手渡し、中国の監視船が日本の領海内を航行することが繰り返し起こっていることについて、「中国にも、ぜひ自制を求めたい」と提起しました。

 しかし、その後、中国による領海侵犯などが常態化していきました。わが党は、2013年2月、第25回党大会6中総での幹部会報告で次のように表明しました。

 「中国側は、政府の監視船による継続的な日本の領海内での航行や、政府の航空機による領空侵犯をおこなっています。中国側にどんな言い分があったとしても、ある国が実効支配をしている地域に対して、力によってその変更を迫るというのは、今日の世界で紛争解決の手段として決して許されるものではありません。中国側によって、力によって日本の実効支配を脅かす動きが続いていることは、きわめて遺憾であります」

 7年前の6中総でここまで踏み込んだ批判をしました。しかし、その後も、中国による領海侵犯を含む接続水域入域が続きました。昨年、2019年は前年の1・8倍となっていることは、大会の綱領報告でも批判した通りであります。

 それでは南シナ海はどうか。南シナ海では、より乱暴な形で覇権主義があらわれました。2009年、中国は、南シナ海のほぼ全域について自国の権利を公式に主張するようになります。そして、2014年5月、西沙諸島近辺の海域に、石油掘削装置を設置するという行動に踏み出しました。わが党は、この時に談話を発表し、中国の行動を、「領土紛争解決の国際的原則にも、中国自身が加わったDOC(南シナ海行動宣言)の精神にも反する、一方的な行動」だと批判しました。

 しかし、南シナ海でも、中国の行動はエスカレートしていきました。2016年、オランダのハーグに設置されている常設仲裁裁判所の裁定が、中国の主張を退け、力による現状変更は国際法違反と断じました。にもかかわらず、中国は、これを「紙くず」だと言って無視し、一方的な現状変更をすすめました。今日では、中国は、この地域に対する軍事的支配を公然と強化し、覇権主義的行動をエスカレートさせていることは、8中総の提案報告で詳細にのべた通りであります。

 東シナ海および南シナ海での中国の動きを踏まえて、わが党は、2014年1月、第26回党大会決議で、中国の前途について、次のように表明しました。

 「そこには模索もあれば、失敗や試行錯誤もありうるだろう。覇権主義や大国主義が再現される危険もありうるだろう。そうした大きな誤りを犯すなら、社会主義への道から決定的に踏み外す危険すらあるだろう。私たちは、“社会主義をめざす国ぐに”が、旧ソ連のような致命的な誤りを、絶対に再現させないことを願っている」

 わが党が、警告的にではあれ、中国について「覇権主義」という言葉を使ったのは、両党関係正常化以降では、この大会決定が初めてでした。

 かなり強い言葉での警告となりましたが、それは、中国にあらわれつつあった覇権主義的な行動への私たちの強い危惧にもとづくものでした。これが6年前の出来事であります。

2016年のアジア政党国際会議――中国への見方を決定的に変える契機に

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(写真)ICAPP総会で発言する志位委員長=2016年9月3日、クアラルンプール(田川実撮影)

 わが党が、中国に対する見方を決定的に変えざるをえないと判断したのは、2016年9月、マレーシアのクアラルンプールで行われたアジア政党国際会議(ICAPP)総会での体験でした。そこで問われた最大の問題は、核兵器廃絶の問題でした。この問題で中国共産党代表団がとった態度は、あまりに理不尽かつ横暴なもので、覇権主義的ふるまいというほかないものでありました。

 わが党は、クアラルンプールでの総会宣言に、「核兵器禁止条約の国際交渉のすみやかな開始を呼びかける」ことを明記することを強く求めました。同様の内容は、2010年のカンボジアのプノンペンでの総会宣言、2014年のスリランカのコロンボでの総会宣言にも明記されており、当然、引き継がれるべきだということを主張しました。

 これに頑強に反対したのが中国共産党代表団でした。中国は、1990年代には核兵器禁止の国際条約を繰り返し求めてきましたが、ちょうどこの時期、その態度に深刻な変質が起こっていたのであります。2015年秋の国連総会で、核兵器の禁止・廃絶に関する法的措置を議論する「公開作業部会」の設置を提案する決議案に、中国は核保有大国の一員として頑強に反対する態度をとりました。この変質が、むき出しの形でICAPPの総会であらわれたのです。

 核兵器問題というのは、外交問題のあれこれの部分的な一つではありません。人類にとっての死活的な緊急・中心課題です。核兵器は覇権主義を押し付ける最悪の兵器となっているともいえるでしょう。この問題での変質はきわめて重大でした。

 私たちが驚いたのは、中国共産党代表団が、自分たちのこうした主張を押し付けるために、ICAPPの民主的運営を乱暴に踏みにじったことでした。宣言の採択にいたる過程で、わが党は、「核兵器禁止条約のすみやかな交渉開始」を総会宣言に盛り込む修正案を提起しました。宣言起草委員会は、中国を含めて全員一致でわが党の修正案を受け入れることを確認し、総会の最終日に参加者全員に配布された宣言案は、わが党の修正案をしっかり取り入れたものになっていました。私たちもそれを受け取って、「本当に良かった」と心から喜んだものでした。ところが、宣言を採択する直前になって、北京の指示を受けて、中国共産党代表団は、この部分の削除を強硬に求め、それは無理やり削除されました。宣言起草委員会が全会一致で確認したことを、一方的に覆す。しかも核兵器問題という国際政治の最大の問題で、一方的に覆す。これは覇権主義的なふるまいそのものでありました。

 しかも、この時に、中国共産党代表団が、わが党代表団にとった態度も、驚くべきものでありました。今日は少しリアルに何が起こったかを話しておきたいと思います。わが党代表団は、中国共産党代表団に対して、修正案の内容が宣言に盛り込まれるよう、真摯(しんし)に話し合いを求め、協力を要請しました。私自身の率直な思いを言えば、この時までは、中国に対してさまざまな問題点を感じていたものの、「真剣に話し合えば理解しあえる」という気持ちをもっていました。ですから、そういう話し合いを求めました。ところが、中国共産党代表団の団長は、わが党の協力要請を、まともな理由を一つも示すことなく拒否したうえ、協力要請を行った緒方靖夫副委員長に対して、激高し、怒鳴り、「覇権主義」という悪罵を投げつけるという態度をとりました。彼は、日本語で「何度も俺を呼び出しやがって、無礼だぞ」という侮辱的な言葉をのべました。これは1998年に両党関係を正常化したときに互いに確認した原則に反する行動でした。

 私は、党代表団の団長として、クアラルンプールでの中国共産党代表団のあまりに横暴なふるまいの一部始終を直接体験し、1998年の両党関係正常化のさいの反省はいったいどこにいったのかと、事態の重大性を深刻にとらえざるをえませんでした。

 しかし、それでもわが党は、この時の覇権主義的なふるまいの問題を、中国共産党代表団の問題として批判し、それをただちに、中国共産党中央委員会の問題として批判することをしませんでした。代表団が特別に粗暴だったということもあり得ないことではないからです。そこは区別して批判するという抑制した態度をとりました。

第27回党大会決議での大国主義・覇権主義批判――中国側とのやりとりについて

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(写真)会談する志位和夫委員長(右から2人目)と程永華駐日中国大使(左から2人目)=2017年1月12日、党本部

 これらの一連の経過、体験にもとづき、わが党は、2017年1月の第27回党大会決議で、中国に対する踏み込んだ批判を行いました。

 今日の中国に「新しい大国主義・覇権主義の誤り」があらわれていることを、核兵器問題での深刻な変質、東シナ海と南シナ海での力による現状変更をめざす動き、国際会議の民主的運営をふみにじる覇権主義的なふるまい、日中両党で確認した原則に相いれない態度――の4点にわたって具体的に指摘しました。そして、「(こうした誤りが)今後も続き、拡大するなら、『社会主義への道から決定的に踏み外す危険』が現実のものになりかねないことを率直に警告しなくてはならない」と表明しました。

 この党大会の決議案は、2016年11月の中央委員会総会で公表されていました。党大会の直前、程永華中国大使(当時)が私に面会を求めてきました。2017年1月12日、党本部を訪れた程大使と1時間半ほど会談をいたしました。どういう立場でこられたのかと聞きますと、「大使だが、今日は、(中国共産)党中央委員会の指示で来た」とのことでした。会談のなかで、大使は、わが党の決議案でのべた「新しい大国主義・覇権主義」など中国に対する批判的内容の削除を求めました。大使は、「意見の違いを公にせず、内部の話し合いで解決してほしい」と繰り返しました。公然と批判することは「敵が喜び、右翼が喜ぶだけだ」とも言いました。

 しかし、国際問題でわが党がその立場を公然とのべることは、党の自主的権利に属することであって、もしも異議があるならば公然と反論すればよいことであります。「意見の違いを公にするな」ということ自体が、大国主義的な態度と言わなければなりません。私は、大使の求めをきっぱりと拒否し、なぜわが党が決議案でのべたような表明をしているのかを全面的かつ詳細にのべ、中国側に誤りの是正を求めるとともに、わが党の立場を中国共産党指導部に伝えるよう要請しました。

 そのさい、私は、大使がのべた「敵が、右翼が喜ぶ」というのは、「安倍政権の『戦争をする国づくり』と真剣にたたかっているわが党に対して、あまりに礼を失した発言」であること、「率直にいうが、中国の大国主義・覇権主義的ふるまいが、どれだけ安倍政権が安保法制=戦争法を進める口実とされているか、日本の運動の利益をどれだけ損なっているかを、真剣に考えてほしい」とのべました。

 そして大使に次のように提起しました。

 「核兵器問題などの政治的立場の違いは、今後も話し合っていけばよい。しかし、ICAPP総会のふるまいはそうはいかない。わが党は現場で侮辱を受けた。あまりにもひどいふるまいがあった。ただ、決議案では『中国共産党代表団』のふるまいとして書いている。『中国共産党中央委員会』と書いていない。中国共産党代表団がクアラルンプールのICAPP総会でとった態度を、中国共産党中央委員会として是とするのか、非とするのか。本国に問い合わせて、回答を持ってきてほしい」

 大使は、「北京に報告する」と答えました。

 しかし、それから3年間、中国共産党中央委員会からは、わが党に対して何らの回答もありませんでした。そこで、昨年10月、党本部を訪れた中国の孔鉉佑大使に、私は、「3年前に回答を求めたが、回答が来ていない。回答がないものとみなしていることを、お伝えしておきたい」と話しました。

 そして、私は、11月、8中総での提案報告で次のように表明しました。

 「これらの経過にてらして、わが党は、クアラルンプールで中国共産党代表団がとった覇権主義的ふるまいの問題は、中国共産党中央委員会自身の問題だとみなさざるをえません。そこに、『社会主義の事業への誠実さ、真剣さ』を見いだすことはできません」

綱領一部改定――10年余の事実と体験にもとづいてくだした結論

 前党大会から3年間、わが党は、中国の動向を注視してきましたが、中国は、わが党が批判した問題点を是正するどころか、いっそう深刻にする行動をとっていると判断せざるをえません。

 核兵器問題での変質がいっそう深刻になっています。東シナ海と南シナ海での覇権主義的行動が深刻化しています。それらにくわえて、香港と新疆ウイグル自治区での人権侵害が深刻な国際問題となっています。それらの問題点の詳細は、8中総の提案報告と、大会の綱領報告でのべた通りであります。

 中国にあらわれている大国主義・覇権主義、人権侵害は、どれも社会主義の原則や理念と両立しえないものです。中国の政権党は、「社会主義」「共産党」を名乗っていますが、その行動は、社会主義とは無縁であり、共産党の名に値しません。こうした判断のもと、中国に対する綱領上の規定を見直すことにしました。

 大会での綱領報告でのべたように、そして今日、詳しくお話ししたように、この改定は、突然に言い出したものではなく、「この10年余、十分に慎重に中国の動向をみきわめ、節々で率直かつ節度をもって態度表明を行いつつ、動かしがたい事実と私たちの実体験にそくしてくだした結論」(大会での綱領報告)であるということを強調したいと思います。

なぜこうした誤りが起こったか――二つの歴史的根源について

 なぜこうした誤りが起こったか。これは、今後の世界の社会主義の事業の前途を展望しても、非常に重要な問題だと思います。

 私は、8中総の結語で、直接的原因として、指導勢力の責任を指摘しつつ、より根本的な問題として、「中国のおかれた歴史的条件」についてのべました。大会の綱領報告では、中国の党自身が自戒していた決定を引いて、この問題をのべました。今日は、それらの文献の内容に、さらに踏み込んで説明しておきたいと思います。

自由と民主主義が存在しないもとでの革命――革命後もこの課題が位置づけられず

 「中国のおかれた歴史的条件」の第一は、「自由と民主主義の諸制度が存在しないもとで、革命戦争という議会的でない道で革命が起こったこと、革命後もソ連式の『一党制』が導入されるとともに、自由と民主主義を発展させる課題が位置づけられなかったこと」(8中総の結語)であります。

 革命前の中国社会が「自由と民主主義の諸制度が存在しない」社会であったことにくわえて、革命後も「自由と民主主義を発展させる課題が位置づけられなかった」――この両面での指摘をしていることに注目していただきたいと思います。

 1981年、中国共産党が「文化大革命」を総括した中央委員会総会決定――「建国以来の党の若干の歴史的問題についての決定」――では、次のようにのべていました。(下線=引用者)

 「中国は封建制の歴史のひじょうに長い国である。わが党は封建主義、わけても封建的土地制度や豪族、悪徳ボスとのもっとも断固たる、もっとも徹底したたたかいをすすめ、反封建闘争のなかですぐれた民主的伝統をそだてた。だが、長期にわたる封建的専制主義の、思想・政治面における害毒は、やはり簡単に一掃しうるものではなかった。また、さまざまな歴史的原因によっても、われわれは共産党の内部における民主と国家の政治・社会生活における民主とを制度化し、法律化することができず、また法律をつくったとしても、しかるべき権威をもたせることができなかった

 「長期にわたる封建的専制主義の…害毒」ということを言っています。これは革命前にあった「害毒」を一掃できなかったということです。それにくわえて、革命後も「民主を制度化・法律化」できなかったといっています。先にのべた両面での問題点を、反省・自戒した決定でした。しかし、その後も、1989年の天安門での弾圧、今日の香港や新疆ウイグル自治区で噴き出している人権侵害など、この歴史的問題点は、現在も深刻な形で拡大しています。

大国主義の歴史――世界第2の「経済大国」となるもとで誤りが顕在化

 「中国のおかれた歴史的条件」の第二は、「中国社会に大国主義の歴史がある」ということです。「そういう歴史をもつ国だけに、大国主義・覇権主義に陥らないようにするためには、指導勢力が強い自制と理性を発揮することが不可欠」(8中総の結語)であるということです。

 1956年、「人民日報」の編集部が、中国共産党中央委員会政治局拡大会議の討論にもとづいて発表した論文――「再びプロレタリアート独裁の歴史的教訓について」と題する論文があります。1956年に、ソ連共産党大会でスターリン批判があり、きわめて不十分ながら大国主義の誤りが明らかにされたなかで発表された論文でした。(下線=引用者)

 「スターリンは、兄弟党と兄弟の国家に対する関係で、かつてある種の大国主義の傾向をあらわしたことがある。……このような傾向には一定の歴史的原因がある。……大国主義はけっして一つの国の特有の現象ではない。……われわれ中国人が特別心をとめる必要があるのは、わが国が漢、唐、明、清の四代にやはり大帝国であったことである。わが国は、19世紀なかば以後の100年のあいだ侵略された半植民地となったし、現在も経済、文化のおくれた国であるけれども、しかし条件が変わったのち、大国主義の傾向は、もしも努力してふせがないなら、かならず重大な危険となるだろう」

 こうした自戒をしたわけです。ところが、その後、毛沢東が引き起こした「文化大革命」の時代に覇権主義の誤りが噴き出しました。この時は、各国の共産党に対して、武装闘争路線を押し付けるという形での覇権主義でした。いまあらわれている覇権主義は、共産党間の覇権主義ではなくて、東シナ海や南シナ海での乱暴なふるまいにあらわれているように、国家間の覇権主義――領土膨張主義として、より深刻なものとなっていることを指摘しなければなりません。

 この誤りが顕在化したのは、先にのべたように2008年~09年ごろでしたが、この時期は、中国が日本を抜いて、世界第2の「経済大国」となったとされた時期でした。かつて中国は、「条件が変わったのち」と、「革命の勝利」によって大国主義があらわれることを自戒していましたが、今日、その通りの事態が起こっているではありませんか。“世界第2の経済大国になった。やがて世界一だ”。こういうなかで新しい形での覇権主義が台頭してきた。これが現状だと思います。

 今日の中国で起こっている問題点の根源を、こうした歴史的な諸条件のなかでしっかり捉えておくということがたいへん大切であります。それは、社会主義の事業の今後の世界的展望を捉えるうえでもたいへん大事だということを強調しておきたいと思います。

今回の綱領改定の意義――半世紀余の闘争の歴史的経験を踏まえた「新しい踏み込み」

 それでは今回の中国に関わる綱領改定の意義はどこにあるか。

 私は、大会での綱領報告のなかで、日本共産党が行ってきた「社会主義」を名乗る国の大国主義・覇権主義との闘争は、半世紀を超える歴史があるが、そのなかに今回の綱領一部改定を位置づけてみると、ここには「新しい踏み込み」があると強調しました。これはどういうことなのか。もう少し突っ込んでお話ししておきたいと思います。

これまでは“社会主義(をめざす)国”の中に生まれた誤りの批判として

 わが党は、1960年代以降、ソ連と中国という「社会主義」を名乗る国の大国主義・覇権主義、人権抑圧への批判に取り組んできました。ただそれは、どれも相手が「社会主義国」だということは認めたうえで――当然の前提にして、その「社会主義国」の中に生まれた、社会主義の理念に反した誤りへの批判として行ったものでした。批判のなかで、わが党は、「社会主義国」であるかぎり、誤りはいずれ克服されるという大局的な期待も表明してきました。

 ソ連との関係では、1960年代前半に始まる日本共産党への干渉攻撃、大国主義・覇権主義との長期にわたる闘争に取り組みました。1968年のチェコスロバキア侵略、1979年のアフガニスタン侵略などへの厳しい批判を行いました。ただこれらは、「社会主義国」の中に生まれた誤りへの批判として行ったものでした。1970年代に入って、ソ連が当時、自らを「発達した社会主義」と言ったのに対して、ソ連が誤った行動をとるのは「社会主義が世界史的にみれば生成期だからだ」と主張したこともありました。そういう立場での論争だったのです。1990年代初めにソ連が崩壊し、その後、わが党は、1994年の第20回党大会で初めて、「ソ連は経済的土台でも社会主義とは無縁の社会だった」という結論を下しました。

 中国との関係では、1960年代後半に始まる毛沢東による「文化大革命」の時期に開始された日本共産党への干渉攻撃、大国主義・覇権主義との闘争に取り組み、1989年の天安門で行われた血の弾圧にさいしては、「鉄砲政権党」という厳しい言葉も使って断固とした批判を行いましたが、これも「社会主義国」の中に生まれた誤りへの批判として行ったものでした。

 それらの批判は、「社会主義である限り長い目で見れば誤りは克服される」という展望を込めての批判でした。1964年、ソ連共産党の干渉を全面的に批判した「ソ連共産党中央委員会の書簡に対する日本共産党中央委員会の返書」(1964年8月26日付)という歴史的文献があります。ソ連の干渉がいかに道理のないものかを全面的に批判しつくしたものですが、この「返書」は結びに「(両党)関係のこうした悪化が、世界の人民運動の偉大な前進の長い歴史からいえば、あくまで、一時的なものであることを信じてうたがいません」と、いずれは歴史によって誤りが克服されるという展望をのべました。

 毛沢東がおこした「文化大革命」を全面的に批判した論文――「今日の毛沢東路線と国際共産主義運動」(1967年10月10日)でも、中国の大局的な前途について、誤りが克服されて中国に社会主義の大義がとりもどされる日がくることはまちがいないと強調しました。

 先にお話ししたように1998年の日中両党関係の正常化のさいには、中国指導部は覇権主義的干渉を公式に反省するという態度をとりました。この時期は、中国の対外政策のさまざまな面で理性が発揮された時期だったというのは、中国をよく知る世界の識者が共通してみているところです。しかし、こうした理性が発揮された時期は一時のものとして終わり、この10年余、大国主義・覇権主義の誤りが深刻な形で顕在化してきたことは、すでにのべてきた通りであります。

対外的に覇権主義の行動をとるものは、国内で社会主義をめざすと判断する根拠なし

 今回の綱領改定は、これまでの批判とは違います。

 中国にあらわれた大国主義・覇権主義、人権侵害を深く分析し、「社会主義をめざす新しい探究が開始」された国とみなす根拠はもはやないという判断を行ったのであります。そうした判断をした以上、「社会主義をめざすかぎり長い目で見れば誤りは克服される」という期待の表明も当然しておりません。

 中国という「社会主義国」を名乗る国が現存するもとで、そういう判断をしたのは、「社会主義」を名乗る国の大国主義・覇権主義との闘争を始めて以来、今回が初めてのことであります。「新しい踏み込み」があると言ったのは、そういう意味であります。

 なぜそうした「踏み込み」が可能になったのか。大会の綱領報告では、「そうした新しい踏み込みを可能にした根本」には、「自主独立の党としてのたたかいの歴史的経験と蓄積」があるとのべました。

 ここでのべた「歴史的経験」とは何か。端的に言いますと、「対外関係において社会主義の道に背く大国主義・覇権主義の行動を多年にわたって行っているものは、その国の国内においても社会主義をめざしていると判断する根拠はなくなる」ということです。

 わが党は、ソ連覇権主義との闘争において、こうした「歴史的経験」を身をもって体験しました。対外的な覇権主義は、国内的な社会主義と無縁の専制主義と一体のものだった。このことを私たちは体験しました。そうした自主独立の党としての闘争の歴史的蓄積が、今回の判断を可能にしたということを、理性と勇気をもってこのたたかいに取り組んだ先輩たちへの敬意をこめて、強調したいと思うのであります。

国際的大義にたった批判をつらぬく

 この綱領改定が、日本共産党に対する誤解や偏見を取り除くうえで大きな力を発揮することは、すでに全国のみなさんが実感しておられることだと思います。

 同時に、私は、わが党がいま中国の誤った行動を批判しているのは、国際的大義にたってのものだということを二つの点で強調したいと思います。

世界の平和と進歩にとっての大義――公然とした批判は覇権主義への痛手に

 第一は、世界の平和と進歩にとっての大義ということです。

 大会の綱領報告でのべたように、すでに世界第2の「経済力」をもち、やがて米国を抜いて世界一になろうとしている中国にあらわれた大国主義・覇権主義は、世界の前途にとって、もはや座視するわけにいかない重大性をもつものです。

 にもかかわらず、その誤りに対する国際的な批判が全体として弱いという問題があります。たとえばアメリカはどうでしょうか。アメリカによる中国批判は、香港や新疆ウイグル自治区などの人権問題に対する批判はありますが、大国主義・覇権主義への批判はありません。自分自身が、世界最大の覇権主義国ですから、他人のことを覇権主義と言えないわけであります。米国は、南シナ海などでの中国の横暴なふるまいを批判しますが、これも覇権主義という共通する立場にあるもの同士の、「覇権争い」という角度からのものであって、「覇権主義」という批判はありません。核兵器問題では、米中は、核保有大国として核兵器禁止条約に共同して反対しながら、核軍拡競争を進めるという関係にあります。

 世界を見渡しても、政府として、中国に対する公然とした批判をする国は、ほとんどみあたりません。中国のふるまいへの批判はもちつつも、経済関係などを考慮して、言いたくても、なかなかモノが言えない状況に少なくない国があります。日本政府の場合は、そうした事情にくわえて、「あらゆる大国主義・覇権主義に対して屈従的」という独自の特徴がつけくわわって、いよいよもって弱く、追随的であります。

 そういう状況のもとで、日本共産党が、冷静に、事実と道理にもとづいて、公然とした批判を行うことは、覇権主義への痛手となっており、国際的にも大きな意義があるものであり、世界の平和と進歩への貢献となると確信するものです。先ほど紹介した中国大使との会談でも、大使は、大国主義・覇権主義への批判について、「削除してほしい」「公にしないでほしい」ということを求めたわけですが、それは、公然とした批判が覇権主義にとって痛手だからです。中国に対して批判的見地をもちつつも、公然とは批判できない国ぐにから、わが党の今回の綱領改定について、共感と賛同が寄せられているということも報告しておきたいと思います。

日中両国の真の友好にとっての大義――排外主義、歴史修正主義に厳しく反対する

 第二は、日中両国、両国民の真の友好にとっての大義ということです。

 大会の綱領報告では、中国の誤りに対する批判を行うが、そのさい「三つの姿勢を堅持する」と表明いたしました。

 第一に、中国の「脅威」を利用して、軍事力増強をはかる動きには断固として反対します。

 第二に、中国指導部の誤った行動を批判しますが、「反中国」の排外主義をあおりたてること、過去の侵略戦争を美化する歴史修正主義には厳しく反対をつらぬきます。

 そして第三は、わが党の批判は、日中両国、両国民の本当の友好を願ってのものだということであります。

 この表明は、全党から強い共感をもって受け止められました。わが党の批判は、日本の右翼反動派による中国攻撃――排外主義と歴史修正主義に立った中国攻撃とは、まったく立場を異にするものであるということを、強調しておきたいと思います。

 世界の平和と進歩にとっての大義、日中両国、両国民の真の友好にとっての大義――二つの大義をしっかりとにぎって、中国に向き合っていきたいと思います。

29日付につづく


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