「労働力商品」の二面性に注目
暮らしと経済研究室主宰
山家悠紀夫さん
『資本論』(長谷部文雄訳、全5冊、青木書店)を入手したのは、大学入学が決まってすぐのことである。父に頼んで買ってもらった。
経済学部で学ぶのだから『資本論』くらいは読んでおかねば、と思ったのである。
なぜアダム・スミスの『国富論』ではなくてマルクスの『資本論』なのか。そのへんのところは分からない。ケインズもサミュエルソンもまだ知らない高校3年生であった。
しかし、当時の私は全く知らなかったのだが、入学した神戸大学はいわば近代経済学専門の大学で、マルクス経済学の講義は一つもなかったのである。しばらくは『資本論』「棚」ざらしのままであった。
それでも待つものである。大学の教官の中にはマルクス経済学に造詣の深い先生も多数いらっしゃって、講義の中でマルクスの学説がよく紹介された。また、入学と同時に入部したサークル(新聞会)では先輩たちが主導しての、『空想より科学へ』その他、マルクス・エンゲルスの初期の本の読書会も多く開かれた。加えて、学部自治会が教授会に要請して、「マルクス経済学」の講義を正規の科目(2単位)として開講させるなどということもあった。和歌山大学から宮本義男教授を招いての開講であった。
雑然とではあるが、あれこれ学んで機は熟した、ということであろう、『資本論』のページを開いた。3年生になった頃だったと思う。
面白かった。第一部1100ページ余はほとんど一気に読んだ。とりわけ感心したのは剰余価値生産に関するくだりである。労働力商品の価値(交換価値)と労働が生み出す価値(使用価値)との差に注目して論じているくだり。
ものやことの本質は何かとつきつめて考えることの大切さ、確立しており不動のものと思われる体制もまた変わりうるものであること。そして人もまた、等々。いい加減な学び方ではあったが、私が『資本論』、そしてマルクス経済学から学んだものは多いと思う。






