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私と資本論

近代経済学以上に近代的

京都大学名誉教授
間宮陽介さん

写真:間宮陽介

 冷戦終結から数年を経た年の暮れ、何気なく入った古本屋で「マルクス・エンゲルス全集」全巻(大月書店)が目にとまり、買い求めた。涙が出るくらいの安値である。その後、補巻も順次買いそろえ、マル・エン全集は研究室の一隅を占めることになった。定年で大学を辞めるとき、蔵書の半数以上を処分したが、東京に送った本の中にはこの全集も入っていた。

 マルクスを研究しているわけではない。それにもかかわらず全集を買いそろえたのは時代への反逆のつもりだったのだろう。彼の著作は1世紀以上にわたって世界の労働運動、革命運動を鼓舞しつづけた。そこには、人間、社会、歴史への深い洞察があった。彼の思索は社会主義の崩壊とともに無に帰すようなものではないはずだ。

 しかし『資本論』は19世紀に書かれた本である。資本主義といっても初期の産業資本主義段階。いくら何でも現代を理解する指針とはなり得ないのではないかと思う人もいるだろう。

 逆説めくが、私は『資本論』はその後の近代経済学以上に近代的だと思っている。調和的な市場理論ではなく、資本の運動を不均衡の相の下に考察したもの、それが『資本論』である。資本は貨幣や商品などさまざまに姿を変えながら、その循環過程で証券その他の金融商品をスピンオフさせる。『資本論』は第3巻「資本主義的生産の総過程」を媒介として、現代の金融経済に直結しているのである。

 マルクスの著作は自分の思考を映し出す鏡である。何を考えているかによって、それまで見えなかったものが見えてくる。ゲルマン共同体の本質は集会に存すという「資本制生産に先行する諸形態」の一節は、私のコモンズ論に大きな示唆を与えた。労働は外的自然を変えるとともに人間の自然も変えるという『資本論』の一節は、活動は人間の内外世界の境界だという私の持論を後押ししてくれた。マル・エン全集を手元に残したのは幸運な選択だったといわなければならない。

「しんぶん赤旗」2020年1月15日


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