2025年9月21日(日)
心優しき革命家 市川正一
没後80年 市田副委員長が講演
![]() (写真)市川正一の写真を背に講演する日本共産党の市田忠義副委員長=20日、東京都八王子市内 |
戦前の激しい日本共産党への弾圧下で活動し、終戦の5カ月前に獄死した戦前の日本共産党中央委員・市川正一の没後80年を記念して、日本共産党の市田忠義副委員長が20日、東京都八王子市で講演しました。主催は「市川正一顕彰碑建立実行委員会」。
市田氏は、市川が「日本共産党員となった時代が真の時代、真の生活」と法廷で陳述した戦前の日本共産党に言及。その当時に「君主制の廃止」「18歳以上のすべての男女に普通選挙権」「8時間労働制」など先駆的な主張を掲げ、国民の要求と選挙・議会活動を結びつける「戦闘的議会主義」など民主的な社会変革を提起した戦後に結実する活動を紹介しました。
その上で、「命がけで侵略戦争に反対し、主権在民の旗を掲げた党があったことは日本の戦前史の誇りであり、市川の生涯は、その重要な構成部分だ」と強調しました。また市田氏は、市川が獄中からの家族に出した手紙を紹介し、「心やさしき革命家」と呼ばれた市川の親や家族思いの人柄と、旺盛な学習意欲、不屈の生き方をたどりました。
結びに市田氏は「市川が不屈にたたかいぬいた根本には、科学的社会主義にもとづく世界観的確信があったからだ。彼から何を学び、受け継ぐかはおのずから明らかだ」と述べました。
市川の墓は八王子市内にあります。同実行委員会が市川の顕彰碑建立のための募金活動を始めました。
市川正一 日本共産党創立当時からの党員で党中央委員。1892年に山口県で生まれ、読売新聞記者などを経て1923年に入党。「赤旗」編集委員などを務めました。29年の特別高等警察による大弾圧「4・16事件」で検挙されました。34年に無期懲役刑が確定し、網走刑務所に送られました。45年3月、宮城刑務所で52歳で獄死。









