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2025年9月21日(日)

「ガザ市は消せない」

退避帰還者の証言

 イスラエル軍は16日、ガザ市への大規模な地上侵攻の開始を宣言し、全ての住民に退去を命じました。しかし退避後に再びガザ市へ戻る住民が後を絶ちません。ジャーナリストのモアイン・カフルートさんもその一人です。SNSを通じて18日、その体験と思いを聞きました。(カイロ=米沢博史)


写真

(写真)モアイン・カフルートさん(本人提供)

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 占領軍は地上侵攻の直前に、南部マワシ区域の「人道安全地帯」へ移動するよう命じました。ガザ地区のわずか3%にすぎない土地に、爆撃や飢餓、避難の繰り返しで心身が傷ついた住民100万人を収容できるのか。疑問を抱きながらも、私も「安全地帯」と呼ばれる場所に向かいました。必需品を抱えながらの移動は困難です。トラックを見つけたとしても300ドル(約4万4000円)以上の運賃が必要で、多くの人には到底払えません。私も歩きました。

 到着して見たのは、数千人すら収められない狭い区域に押し込められた群衆でした。日差しをさえぎる物も水もなく、人々は地べたに眠り、女性は一滴の水を探し、子どもたちは飢えと渇きに泣き叫んでいました。私はぼうぜんとし、別の場所を探しましたが、さらに窮屈な空間しかありませんでした。

 私の選択肢は「戻ること」しかないと悟りました。爆撃されていても、ガザ市こそが最も身近に感じる避難場所だからです。

 戻った街では、多くの人が同じ決断をしていました。「尊厳なき生よりも、ここでの死の方がましだ」と語る人、「われわれを消し去ろうとする者に家を渡さない」と私の手を握る人。その瞬間、ガザ市は傷を負いながらも生きており、残るという決意は個人でなく集団の抵抗だと感じました。

 ガザ市は5千年の歴史を持つ都市です。退避命令は記憶を奪い、アイデンティティーを消そうとする試みです。今も爆撃音が響き、避難する人々や子どもたちの姿が頭をよぎります。居残る決断は命に直結する選択ですが、私は日本と世界に伝えます。占領軍がいかに命令によって強いても、私たちを根こそぎ奪うことも、ガザ市を消し去ることも決してできません。


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