2025年8月24日(日)
きょうの潮流
「穀(ごく)つぶし」「米食い虫」「非国民」。日本が侵略戦争をすすめていた当時、障害のある人たちは、そうののしられていました。差別と偏見にさらされ息を潜めて暮らしてきた肢体障害者たちが手記を残しています▼全国肢体障害者団体連絡協議会が20年ほど前、『米食い虫、非国民とののしられながら』を編集しました。「戦争は障害者をつくる。戦争と障害者の幸せは両立しません」と▼脳性まひで手足をほとんど動かすことができなかった新堂広志さんは、1943年8月に徴兵検査を受けました。それまで一歩も外に出たことがありませんでした。重度の障害のため2回徴兵免除を認められていたのです▼意を決して受けに行った検査場の小学校。むしろの上に横になり、長時間日照りの中で順番を待ちました。子どもたちの視線を感じながらの数時間。挙げ句「帰れ! 丁種不合格」の一言に「こんな屈辱には耐えられない」。戦後は平和を守り、障害者の権利保障を求める運動の先頭に▼「何の役にも立たない」と陰口をたたかれた脳性まひの小柴資(もと)子さん。改憲を狙う動きに警鐘を鳴らしています。「『お国のため』に戦わされるのではなく自主的に闘う『運動』は平和でなければできません」▼いま自公政権がくらしを壊し大軍拡を狙います。差別扇動も公然と繰り広げられています。手記をまとめた当時も、改憲し戦争へ突き進もうとする動きがありました。戦後80年。平和のなかでこそ、障害者は生きられるという告発を改めて。








