2025年8月21日(木)
住民虐殺の記憶継承を
沖縄・久米島 追悼する集会
![]() (写真)彫刻家の金城実さんと住民有志によって制作されたレリーフ(右)と、併設された「史実不戦之碑」(左)=20日、沖縄県久米島町 |
沖縄戦中の1945年、久米島で旧日本軍に虐殺された住民を追悼する集会が20日、久米島町の本願寺久米島布教所で開かれました。県内在住の彫刻家・金城実さんと住民有志が共同で制作した追悼レリーフが除幕されました。集会は、戦後80年がたち戦争体験者が自身の体験を語ることが難しくなっていくなか、島で起きた虐殺の事実を後世に伝えることが目的です。
沖縄戦は45年6月23日に旧日本軍による組織的戦闘が終わったとされ、日本は8月15日、無条件降伏しました。ところが、久米島では6月27日から8月20日にかけて、島に駐留・潜伏していた旧日本海軍の守備隊、通称「鹿山隊」によって「スパイ」容疑をかけられた乳幼児を含む住民計20人が虐殺されました。
久米島町史などによると「鹿山隊」は、降伏を求める米軍の文書を運んだ郵便局員や米軍と接触があった住民たちを「スパイ」とみなし殺害しました。20日は朝鮮人古物商の具仲会(ク・ジュンフェ、日本名・谷川昇)さん一家7人が殺害されて80年となりました。
集会では、参加者による献花や三線(さんしん)の演奏などが行われました。レリーフの制作に携わった金城さんは「私は沖縄戦の無惨さを身をもって知っている。今一人ひとりに求められるのは、沖縄戦の歴史を隠蔽(いんぺい)しようとする者とのたたかいだ」と訴えました。
集会の実行委員長を務める神里稔さんは「虐殺の犠牲となった住民たちを悼み、二度とこのような惨劇が起こることがないよう、次の世代に事実を伝えていくことがわれわれの務めだ」と語りました。
集会には「オール沖縄」の高良沙哉参院議員と日本共産党の比嘉みずき県議が参加しました。









