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2025年8月13日(水)

主張

核実験被害者救済

核保有国の政治的責任は重大

 「核戦争阻止と核兵器廃絶を求める壮大な行動を展開するよう世界によびかける」。核実験被害国のマーシャル諸島共和国や核保有国の米国からも平和団体の代表らが参加して閉幕した原水爆禁止世界大会。その国際会議宣言は、「被爆80年―いまこそ決断と行動」として、ヒロシマ・ナガサキの実相とともに、核実験被害の実態を広く知らせる取り組みを各国ですすめることを訴えました。

■原水禁運動の原点

 広島、長崎に原爆を落とした米国は戦後の1954年、太平洋のマーシャル諸島ビキニ環礁で「キャッスル作戦」と称して連続的に核実験を強行しました。作戦の第1弾・3月のブラボー核実験では、爆心から約160キロも離れた公海で操業していた日本のマグロ船・第五福竜丸に「死の灰」(放射性降下物)が降り注ぎ、23人の乗組員が被ばくしました。

 このビキニ被災事件は国民に大きな衝撃を与え、「原水爆禁止」を求める国民運動が始まりました。今日に続く運動の原点です。

 この50年代から本格的な東西冷戦時代にむかうなかで、フランスや英国も核実験を繰り返しました。米国がマーシャル諸島で行った核実験は67回にも及び、その総威力は広島型原爆を12年間毎日落とし続けた規模です。

 フランスは仏領ポリネシアなどで210回の核実験を行い、ソ連はセミパラチンスク核実験場(現・カザフスタン共和国)を中心に450回以上実施しました。核実験による放射能被害は広く世界各国に及び、いまも核実験被害で苦しむ人たちがいます。

 そうした背景から、2017年に122カ国の賛成で採択された核兵器禁止条約は「核兵器使用の被害者(ヒバクシャ)及び核実験の被害者にもたらされた容認できない苦難と損害に留意する」と盛り込みました。

■9百隻以上が被害

 日本政府は1955年1月に、ビキニ被災事件の人的被害を第五福竜丸だけにとどめ、廃棄漁獲物代として米側が200万ドルを支払うことで「政治決着」させました。

 しかし日本政府が2014年に公開した文書や内閣会合記録によると、放射線汚染魚を廃棄した漁船は第五福竜丸以外に992隻にのぼります。ほとんどの漁船員は放射能検査さえされませんでした。

 米国が軍事目的の核実験で被ばくさせながら、日米両政府はその事実さえ隠し続けてきました。被害漁船員の多くは10年後、20年後に真の死因も分からず亡くなりました。人道上、絶対に許せないことです。

 現在、日米政治決着によって米国に損害補償を求める権利を奪った日本政府に損失補償を求める裁判(高知地裁)がたたかわれています。被災船のひとつ・第七大丸の通信士だった大黒藤兵衛さんの長女で、原告団長の下本節子さんは「禁止条約を力に日本政府に迫りたい」と訴えます。

 核実験大国の米国や「核の傘」の下にある日本政府は、核実験がもたらした不正義や被害者の苦しみに向き合い、必要な援助や補償をする政治的、道義的責任があります。


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