2025年8月11日(月)
きょうの潮流
お盆の帰省ラッシュや夏休みで混雑する交通機関。あの日の羽田空港も、ごった返していました。1985年8月12日、羽田発大阪・伊丹空港行き日本航空(JAL)123便は、ほぼ満席でした▼定刻の18時より12分遅れて離陸し、伊豆半島の上空にさしかかった時でした。ドーンという爆発音とともに機体は大きく揺れ、操縦が利かない状態に。飛行は乱高下し、離陸から44分後、群馬県上野村の「御巣鷹(おすたか)の尾根」に墜落しました▼乗客乗員520人が犠牲となった、単独機の事故としては世界史上最悪の航空事故。列島中が騒然となったあの夏から、あすで40年となります。遺族らは悲しみを抱えながら、いまも追悼の登山を続けています▼節目を前にして御巣鷹の尾根に足を運びました。整備されたとはいえきつい山道。傍らには墓碑や地蔵尊が点在し、たくさんの風車が飾りつけられていました。訪れる人たちを出迎えるように▼頂上付近に建立された「昇魂之碑」の前でJALの新入社員研修の一団に遭遇しました。彼らは黙とうし、事故後に制定した安全憲章を碑に向かって唱和していました。安全とは命を守ることであり、グループ存立の大前提だと▼しかし空の事故はなくなってはいません。くり返される安全第一の軽視は、航空会社のみならず、国の姿勢も問うています。遺族らが命の重みをつづり今夏出版された文集「茜雲(あかねぐも) そのあとに」。そこには、事故の教訓を生かして後世につないでほしいとの願いが込められています。








