2025年8月9日(土)
きょうの潮流
長崎の被爆遺構として多くが訪れる浦上天主堂。かつてここには大小、二つの鐘がありました。しかし原爆によって双塔の鐘楼が吹き飛ばされ、小鐘は大破。がれきの中から見つかった大鐘だけが鳴らされてきました▼今年、被爆80年にあわせて失われた小鐘が復元されました。長崎市に住む被爆2世が提案し、米国の大学教授、ジェームズ・ノーラン・ジュニアさんが実現のために尽力しました。彼の祖父は原爆開発のマンハッタン計画に参加した医師でした▼ノーラン教授は全米各地で被爆の実相を伝える講演を重ね、たくさんのカトリック信徒たちから寄付を集めて寄贈。復活した鐘が平和と希望、そして、日米の連帯を深める象徴になることを願って▼ノーラン教授の祖父は原爆投下後の日米合同調査に参加した医師の1人だったといいます。いま長崎大の医学部では、その前身の長崎医大による当時の救護や調査活動の記録を紹介する資料展が開かれています。長崎医大は原爆によって教職員や学生、患者らおよそ900人が犠牲に▼みずから被爆し、重傷を負いながら救護に奔走した永井隆・医学博士の「原子爆弾救護報告」も展示。そこには「酸鼻の極を呈したこの一刻の光景を眼底より払い去ることが出来ない。古く言伝えられた世の終りの姿と云(い)うべき将又(はたまた)地獄の形相とでも云おうか」と▼永井博士が詠(うた)った〈新しき朝の光のさしそむる荒野に響け長崎の鐘〉。戦後80年の時をへて、きょう、二つの鐘の音がそろって鳴り響きます。








