2025年8月6日(水)
主張
広島原爆投下80年
原水爆禁止の原点に立脚して
1945年8月6日午前8時15分、広島に人類史上初の原爆が投下されてから80年です。
広島14万人、長崎7万人の犠牲者を出した原爆。人間らしく死ぬことも、生きることも許さない残虐な大量殺戮(さつりく)兵器です。「再び被爆者をつくるな」との被爆者の声に応え、私たちの生存と人類の未来を守るためにも、核戦争阻止、核兵器の全面禁止への決意をあらたにします。
■立ち上がる被爆者
ビキニ水爆実験による漁船被爆を契機に燃え広がった原水爆禁止署名運動。有権者数の半分を超える3238万3104人の署名を結集して、はじめての原水爆禁止世界大会が広島で開催されたのは、原爆投下から10年たった55年の8月6日でした。
14カ国の海外代表が参加した同大会宣言は、「今日が出発点」と強調し、「原水爆が禁止され、その貯蔵が廃棄され、人類の上に平和が来る日まで、広く全世界の憂いを同じくする人々と手をつないで、この運動を展開してゆかねばなりません」と決意を表明しました。
原水爆禁止運動の高揚に勇気づけられ翌56年、長崎で開かれた世界大会の2日目、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が誕生しました。「今日までだまって、うつむいて、わかれわかれに、生き残ってきた私たちが、もうだまっておれないでてをつないで立ち上がろう」(結成宣言)と集まり、「原水爆の禁止」を強く訴えました。
被爆者の証言は世界を動かす大きな力になり、ノーベル平和賞を授与されました。
今日、世界の核兵器禁止、平和を願う多くの市民、団体、政府の長年の努力で核兵器禁止条約が成立(21年発効)し、国際規範としていよいよその効力を示しています。
一方で、米ロを中心に約2000発近くの核兵器が数分以内に発射できる警戒態勢にあるといわれています。ロシアのプーチン大統領の核兵器使用のあからさまな威嚇、核兵器国間の軍事紛争、イスラエル、アメリカによるイラン核施設の攻撃など核兵器をめぐる危険な動きも激しくなっています。
それだけに、核兵器禁止を求める運動をいっそうすすめることが求められています。
■問われる政治の姿
このとき唯一の戦争被爆国の政治が果たすべき役割には大きなものがあります。
しかし、日本国民の切実な願いに反し、政府は核兵器禁止条約に背を向けています。それどころか米軍の核兵器使用も視野に入れた「拡大抑止」政策をとり、米軍との共同作戦態勢を強化しています。
先の参院選でも「核共有」や「拡大抑止の実効性確保」、「核武装が最も安上がり」などを公然とかかげる政党や候補者があらわれています。
日本の政治を非核、平和の路線に転換することは被爆国民の願いであり、責務です。日本共産党は戦争被爆国の党として、核兵器の全面禁止を求めて、多くの方々と力を合わせて尽力してきました。
日本共産党は8月6日を迎え、あらためて核戦争阻止、核兵器廃絶へ全力を尽くすことを決意します。








