2025年8月4日(月)
主張
戦後80年 兵士の傷
「戦争トラウマ」の調査・継承を
アジア・太平洋戦争で心的外傷後ストレス障害(PTSD)など精神疾患を患った兵士の存在は、「皇軍に砲弾病(戦争神経症)なし」と隠蔽(いんぺい)され、戦後も「戦争ボケ」などといわれ、社会的にも長く封印されてきました。
「戦争トラウマ」を負った兵士の実態について、国は旧日本軍病院などに残るカルテの収集・分析作業を開始し、戦後80年のこの夏、厚生労働省が初めて、「しょうけい館」(戦傷病者史料館)で特別展示を行っています。「心の傷を負った兵士」として分析結果を四つのパネルで説明しています。「しょうけい」とは「承継」の意味です。
調査・公開を求める「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」(黒井秋夫代表)や研究者の活動、日本共産党の宮本徹・前衆院議員の国会論戦が実ったものです。
■存在を隠した軍部
「先の大戦と心の傷」のパネルでは、戦場での過酷な体験が原因で精神病・神経疾患を発症する人が大勢いたと指摘。陸軍では、戦争末期4年間の戦病者は分かっているだけで約785万人、そのうちの8%67万人が精神病・その他の神経症だったとします。
戦争と関連の深い戦争神経症は、当時、戦時神経症・戦闘神経症などとも呼ばれ、現在のPTSDに該当する事例が含まれていた可能性もあると解説しています。
しかし、軍部は「表向きは日本軍にはそのような将兵がいるはずもない」としていました(同展示)。「欧米軍に多発致しましたる戦争神経症なる精神病は幸いにして一名も発生致しませぬことは、皇国民の特質士気の旺盛なることを如実に示すもの」という陸軍省医務局医事課長の1938年の貴族院での発言が紹介されています。
黒井氏の父・黒井慶次郎氏は中国吉林省の独立守備隊に配属され、日本が「匪賊(ひぞく)」と呼んだ中国の農民兵や住民を襲い、命と財産を奪う作戦に従事しました。「刺突訓練」として、実際に生きた中国人捕虜を銃剣で刺し殺す残酷な行為をさせられたといわれます。41年に再徴集され、満州などで中国軍と戦い捕虜になり、終戦後帰国しました。
■加害行為に苦しみ
「父は、戦争が終わり人間の心を失った兵士から本来の自分に戻ろうとしたとき刺突訓練や多くの中国人を殺した戦争体験がトラウマになり心を苦しめ、戦争PTSDを発症したと考えられる」と黒井氏は言います。父と会話した記憶はなく、笑顔のない人で、一度も定職につかず一家は貧しい暮らしを強いられたと話します。
「しょうけい館」は、戦傷病者の戦中・戦後の労苦を若い世代に語り継ぐ国の施設として開館しました。来年2月から「心の傷で苦しんだ戦傷病者の労苦」を常設展示する予定です。戦傷病者以外の復員兵士まで調査を広げ、戦争神経症の「発症の原因」に迫る展示への充実が求められます。
「戦争トラウマ」の主要原因は中国やアジア諸国民への残虐・加害行為です。戦争体験者が減るなか、二度と戦争を起こしてはいけないことを国の責任で展示し、継承していかなければなりません。








