2025年7月5日(土)
民主政治覆す異質の危険 外国人を敵視する排外主義
3日公示された参院選で、「日本人ファースト」などと叫び、在日外国人の取り締まりや追い出しを求める政治勢力が跋扈(ばっこ)しています。外国人を敵視する排外主義の主張や、極右的潮流をどうみるか。そして、どうたたかうか、考えます。
真の問題覆い隠す差別・分断
![]() (写真)訴える田村智子委員長=3日、東京・池袋駅西口 |
「外国人は生活保護を受けやすい」「外国人が増えて治安が悪化している」―こんな根拠のないデマやウソで外国人への不安をあおる言説がネットを中心にあふれています。外国人を敵視する排外主義そのものです。
実際は、生活保護受給世帯全体のうち、外国人世帯の比率は3%程度。受給資格も厳格です。そのなかには、戦前日本にきて何十年も納税してきた在日韓国・朝鮮人も含まれます。
また、外国人の犯罪も2005年の4万3622件をピークに減少し続け、23年に20%増えたものの1万5541件とかつての3分の1。検挙人員全体の5・3%にすぎません。
こうした事実を無視した、排外主義の言説が横行するのは、貧富の格差が拡大するもとで、外国人に不満のはけ口を求めようとするからです。
ところが、参院選でも参政党の神谷宗幣代表は「野放図に外国人を入れたら、日本人の賃金はあがらない」「いい仕事につけなかった外国人が逃げ出して、万引きなど大きな犯罪が生まれ、治安が悪くなる」などと言い放ちました。選挙公約でも各党は「違法外国人ゼロ」(自民党)「国益を守る外国人政策」(参政党)など、“外国人優遇”を問題視する政策を掲げています。国民民主党は「外国人に対する過度な優遇を見直し」との文言を批判を受け修正しました。
「失われた30年」で暮らし・福祉の困難が続いたうえ、物価高騰にコメ不足と国民の不安は高まるばかりです。このような状況をつくりだしたのは、国民そっちのけで財界・大企業中心、アメリカいいなり政治を続けてきた自公政権の政治です。大企業への減税を優先して教育や福祉の予算を削る、米政権のいうがまま大軍拡を推進した結果、暮らしは圧迫されるばかりです。
排外主義は、こうした真の問題を覆い隠し、差別と分断で解決を遠ざける役割を果たします。客観的には自公政治の害悪を温存・拡大させるものにほかなりません。
その手法は、かつての“生活保護バッシング”とも共通しています。2012年にテレビでおなじみの芸人の母親が生活保護を受給していることを自民党議員が攻撃。翌年、安倍晋三政権は生活保護基準の大幅引き下げを強行しました。先日、最高裁はこの引き下げに違法の判断を下しました。
自公政権による社会保障切り捨てに断罪が下されたいま、外国人差別で問題を覆い隠すのではなく、社会保障充実への道にこそ踏み出すべきです。
参政党憲法案 「君民一体」の国
参政党は「創憲チーム」による「新日本憲法」(構想案)をまとめています。大日本帝国憲法(明治憲法)の復活を想起させる異様な復古的内容です。
第1条で「日本は、天皇のしらす(治める)君民一体の国家」と規定。統治権の主体は天皇とされ、「国民主権」という文字はありません。3条は「天皇は…神聖な存在として侵してはならない」と明治憲法3条の「神聖にして侵すべからず」と全く同じ。天皇が統治し国民は天皇を敬慕する家族国家が「国体」「国柄」であるとされ(前文など)、天皇が元号を決め、「君が代」を国歌、「日章旗」を国旗と定めます。
また「国民の要件」として「日本を大切にする心を有することを基準」にするとされ、この要件に当てはまらないものは“非国民”とされます。
平和主義の「章」は存在せず、「自衛のための軍隊」の保持を明記。国民には「日本をまもる義務」が課されます。
自由と「権理」という文言はありますが「基本的人権」の言葉はなく、教育では「教育勅語」などの歴代の詔勅や神話を教えることを義務付け。「家族は社会の基礎」だとされ、婚姻は「男女の結合を基礎」とし性的マイノリティーの権利は排斥。「夫婦の氏を同じくすることを要する」と夫婦同姓が憲法上「強制」されます。外国人の参政権などは否定されます。
矛先は国民へ「亡国の道」へ
排外主義は、「外国人」への攻撃として現れますが、その攻撃の矛先は国民全体に向かい、国を亡ぼすことになるのは歴史の教訓です。
戦前の日本では、日清戦争(1894~95年)以後、1910年の「朝鮮併合」に至る過程で、当時の天皇制政府は植民地化に反対する民衆を、ジェノサイド(集団殺害)ともいえる規模で弾圧・虐殺しました。それでも独立を求める民族運動への恐怖と憎悪から「不逞(ふてい)鮮人」、つまり「反日的な朝鮮人」像がつくりあげられたと指摘されます。
それが爆発したのが1923年の関東大震災でした。「朝鮮人が放火した」「暴動を起こしている」「井戸に毒を投げ入れた」などのデマ(流言飛語)が警察などからふりまかれ、軍隊や警察、自警団などにより6000人といわれる朝鮮人、中国人が虐殺されました(23年12月の「在日本関東地方罹災(りさい)朝鮮同胞慰問班調査」では6661人)。社会主義者も「内乱を企てている」などと標的にされ、東京で被災者救援の活動をしていた川合義虎(共青初代委員長)ら10人の労働者を殺害(亀戸事件)、無政府主義者の大杉栄・伊藤野枝夫妻とおいの幼児を殺害(甘粕事件)しました。亀戸署長は新聞で「所謂(いわゆる)主義者は人に非(あら)ず少くも帝国臣民に非ず」とし、「殺害するも可なり」と開き直りました。朝鮮人への態度も同じでした。
こうした流れはやがて“戦争に反対する者は非国民”という形で国民に対しても向けられ、治安維持法や不敬罪で戦争反対から厭戦(えんせん)気分の言説まで厳しく取り締まられていきました。治安維持法による検挙者は1930年の6124人から31年には1万422人に急増(『現代史資料45 治安維持法』)。45年までに国内の検挙者だけでも6万8千人を超え、拷問による93人の虐殺を含め500余人が命を落とし、拘引・拘束は数十万人に達しました(治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の調査)。
そして、310万人以上の日本国民、2000万人以上のアジア諸国民の犠牲をもたらし、まさに国を亡ぼすことになりました。
「人種間戦争」で“劣等人種”の絶滅をはかったナチスの場合も、政権奪取後、共産党や労働組合への攻撃から始まり、ユダヤ人排斥、そして「反社会分子」の摘発など国民全体が弾圧の対象にされていきました。
排外主義・極右的潮流は、“異分子”とみなす対象を次々と広げ、人権どころか人間としての存在そのものを認めないところに本質があるのです。それは単なる政治的立場の違いにとどまらず、民主政治を覆す異質の危険をもっています。特定の外国人や民族への差別はそれ自体重大な人権侵害ですが、ヘイトクライム(憎悪犯罪)やジェノサイド、さらには戦争を導く要因にもなりうる危険をもっています。だからこそ、排外主義・極右的潮流には立場の違いを超えた連帯が何より求められます。
たたかってきた日本共産党
![]() (写真)関東大震災での朝鮮人虐殺を批判する「赤旗」(せっき)1931年8月30日号 |
こうした排外主義・極右的潮流と、戦前の創立当時からたたかってきたのが日本共産党です。
1922年に創立された日本共産党は、23年の「綱領草案」で、「干渉企図の中止、朝鮮、中国、台湾、樺太からの軍隊の撤退」を掲げ、中国への干渉に反対し日本の植民地下にあった朝鮮や台湾の解放を要求。27年の「日本問題に関する決議(27年テーゼ)」は中国侵略と戦争準備に反対するたたかいを「緊切焦眉の義務」とし、アジア侵略への反対を示しました。
23年9月に発生した関東大震災では、共産党員や多くの中国人・朝鮮人を虐殺する暴挙に抗議してたたかいました。「赤旗(せっき)」では、朝鮮人虐殺は日本のプロレタリアートにとって「最も恥ずべき頁(ページ)」とのべ、「我々日本のプロレタリアートはこの時の恥を雪(そそ)がなければならない」(31年3月1日号)「1923年9月の関東大震災時に、数千名の朝鮮人を虐殺させた呪うべき事実は繰り返されてはならぬ」(31年8月30日号)と繰り返し強調しました。
こうして侵略戦争と植民地支配を「正当化」するアジア人蔑視に反対し、侵略戦争そのものに命をかけて反対し、アジア諸民族解放の旗を掲げ続けました。
戦後も、侵略戦争を美化・正当化する流れと正面からたたかい、朝鮮人や中国人差別をきびしく批判。朝鮮・韓国人の権利保障はじめ、外国人の人権保障のためにもたたかってきました。
小泉純一郎首相(当時)の靖国神社参拝以来、「日本会議」を中心にした“靖国史観”というべき侵略戦争美化論にも国会内外で批判。全国各地でのヘイトスピーチやデモを誘発した安倍政権の歴史逆行にも厳しく対決してきました。
「現在の『朝鮮騒ぎ』(注・在日コリアンへのヘイトスピーチ)は、単なる排外主義ではなく、過去の迫害行為を正当化する歴史修正主義を伴っている」(2019年歴史学研究会大会での報告から)だけに、侵略戦争と植民地美化論とのたたかいは重要です。
また、日本も批准している国際人権規約(1966年)は、外国人を含むすべての人に対し平等に人権を保障すべきだと定めています。日本国憲法が保障する基本的人権も「在留する外国人に対しても等しく及ぶ」(1978年の最高裁判決)のです。外国人を「異分子」として人権保障の対象からはずすことは、国際的基準にも憲法にも反することになります。
日本でもいまや外国人労働者は230万人以上。派遣労働者200万人より多い状況です。外国人労働者を、対等の労働者としてその権利を確立することが、日本の労働者の労働条件向上につながります。外国人を排斥したり、その権利を否定したりすることは、問題解決どころか、日本人労働者の状態悪化につながりかねません。
日本共産党の田村智子委員長は、参院選第一声でこう訴えました。
「生活の苦しさや生きにくい社会の要因は、これまでの政治にこそ、責任があります。その矛先を日本に住み、働く外国人に向ける。それは、社会をよくする力にはまったくなりません。それどころか、その矛先はいずれ自国民に向けられていく。それが歴史の教訓ではないでしょうか。日本共産党は、排外主義に断固として立ち向かいます。多様性を尊重する社会を求める市民のみなさんと、この潮流の台頭を許さないために力をあわせてまいります」










