2025年6月28日(土)
きょうの潮流
私は、「わたし」でなく「わたくし」。先ごろ亡くなった藤村志保さんのしなやかな日本語が思い出されます▼映画「座頭市」や「眠狂四郎」のヒロイン役にふんし、テレビドラマに初めて出演した大河「太閤記」(1965年)では、ねね役を生きいきと演じました。年を重ねると現代劇の母親役、祖母役が多くなり、映像の仕事は自分のあるがままの年に沿ったものができると、一つひとつの役に丁寧に取り組んできました▼4歳のときに、父親が南太平洋の激戦地・タラワ島で戦死。「平和の願いは多くのみなさんと同じつもりです。俳優として自分の仕事の中で訴えたり、伝えたりしていければいい」と。被爆者の心を映しだした映画「夕凪の街 桜の国」に出演し、テレビ番組「野坂昭如の戦争童話」のナレーターを務めたのも、そんな願いが込められていました▼大切にしたのは人との縁です。腎臓移植を受けて再起した人々との出会いをきっかけに、自力で取材し「脳死をこえて」を執筆。読売女性ヒューマンドキュメンタリー大賞(85年)を受賞しました▼思わぬことに見舞われたのが、大河「軍師官兵衛」(2014年)の語りを担当していたとき。圧迫骨折の大けがを負いやむなく降板に。その後も圧迫骨折を繰り返し、復帰はかないませんでした▼「私は好きなことを仕事にして生きてきました」「人さまの役に立ってこそいい人生」。そう語っていた藤村さん。凜(りん)とした構えは、演技はもちろん、86年の生涯をも貫きました。








