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2025年6月27日(金)

憲法の心生かす政治へ

参院選沖縄選挙区「オール沖縄」予定候補 タカラさちかさん

 7月の参院選の沖縄選挙区(改選数1)。「オール沖縄」の「平和の一議席」継承のため立候補を決意し、自民党新人(公明党推薦)との事実上の一騎打ちに打ち勝って自公政権に審判を下そうと奮闘する、タカラさちか氏(46)に思いを聞きました。


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高良沙哉 1979年生まれ。北九州市立大学大学院社会システム研究科博士後期課程修了。2006年から各大学・専門学校で非常勤講師。11年から沖縄大学人文学部福祉文化学科所属。19年から教授職

 これまで大学で研究者として、人間の尊厳を脅かす暴力に抵抗し、憲法の精神を沖縄で実現することをめざし、戦時性暴力などの研究に取り組んできました。

 私の人生に決定的な影響を与えた出来事が高校生だったときに起きました。3人の米兵が小学生の少女に性暴力を振るった1995年の事件です。

 「被害者は自分だったかもしれない」と恐怖を抱くと同時に、強い疑問と怒りを覚えました。憲法の平和主義、崇高な理想を持つ日本で、沖縄で、なぜ軍人が幼い少女に性暴力を振るう事件が発生するのか―。憲法と沖縄の現実の矛盾に直面したことが憲法学を志す原点になりました。

 事件から30年たっても米兵による性暴力事件は絶えず、人間の尊厳が脅かされる社会は変わっていません。米軍の特権を定めた日米地位協定は是正されず、沖縄には本土復帰後も十分に憲法が適用されていません。県民とともに声を上げ、憲法の心を生かす政治の実現のため、憲法の研究者から行動する実践者へと踏み出す決意です。

 那覇市小禄(おろく)出身です。幼いころ、荒れたままの土壌や水たまり、むき出しの戦前の防空壕(ごう)が広がる空き地がありました。米軍基地が返還された跡地で、父・姉とオタマジャクシをとって遊んでいたのを覚えています。父方の祖父が戦前、住んでいた小禄金城(かなぐすく)地区の集落は米軍の接収で取られました。そのため戦後は田原(小禄の一地区)に移住を余儀なくされ、私はそこで育ちました。

 金城地区は86年に全面返還されました。区画整理が進んで家々や商業施設、公園ができ、モノレールが開通する活況を目の当たりにしてきました。沖縄は、飛躍的に経済発展できる可能性を秘めています。しかし、在日米軍専用施設面積の約7割が沖縄県に集中していることがそれを妨げている。軍事基地が沖縄に偏在する現状を変えねばなりません。

人権を守り、軍拡を止める

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(写真)支援者の女性たちに囲まれるタカラさちか予定候補(中央)=沖縄県北谷町

 沖縄戦中、父方の祖母は働くため本土にいて助かりましたが、妹を沖縄戦で亡くし、妹を沖縄に置いてきたことを悔いていました。母方の祖母はサイパンで赤ちゃんを抱えて戦火を逃げのびたと聞いています。でも、その経験を語ろうとしませんでした。心の傷になっていたのだと思います。

 小学校では、いじめられっ子で孤立していました。本や漫画ばかり読んでいる子で、戦争の怖さも漫画で知りました。そんなときに出合ったのが憲法でした。

 小学4年の時、平和授業の一環で、自ら手をあげて9条を読み上げたのです。文言の一つ一つを声に出すと、とても安心感を得られて「もう戦争で死ぬことはない」「憲法に守られている」と思いました。この衝撃的な出合い以来、ずっと憲法が好きです。

 ところが、浦添市の高校に通って憲法と真逆の現実を知りました。校舎は二重窓で、それまで見たこともなかった。米軍機の爆音に対する防音対策だったのです。ある日の早朝、学校に一人でいると、校舎すれすれに米軍機がものすごい低空で飛んできました。動悸(どうき)が止まりませんでした。

 高校から県外の大学に進み、高校、大学、大学院と奨学金を借りて卒業しました。26歳で非常勤講師として働き始め、複数の大学や専門学校で非常勤講師をしました。でも、どんなに頑張っても年収は100万円ほどにしかならず、奨学金返済や税金の支払いにも困りました。そこで博士号を目指そうと福岡県の大学院に進学しますが、沖縄で非常勤講師の仕事をしながら福岡に通う生活が続きました。

 奨学金の返済は今も続いています。沖縄には奨学金を借りても困窮し、必死に働きながら学ぶ学生が多くいます。学費が払えず休学して、お金を得るために季節労働に行く教え子もいました。学費が工面できずやめていく学生を何人も見送りました。給付型奨学金の拡充や奨学金債務の減免に取り組みたい。

 2人の子どもを育てています。実は沖縄大学で最初に産休・育休を取った教員です。授業中、保育園から急に電話がきて「すぐお迎えに来てください」と。そんなこともたびたびありました。自衛隊問題での石垣島調査の際、幼いわが子と、その子の面倒をみてもらうための実母も伴って行ったこともあります。

 私も「女性の働きづらさ」を感じることは多い。だからこそ若い女性が希望を持てる、見本になる背中をみせようと常に意識しています。私のジェンダーの授業には男子学生もたくさんいます。「本当は子育ての役割を担いたいけど、そんなことを言ったら会社をやめさせられる」など、彼らの思いにも学ばされます。女性も男性も、性による生きづらさをなくす社会を実現しなければならない。

 2023年12月、再び米兵による少女への性暴行事件が起こりました。私はこれに抗議する沖縄県民大会(24年12月)の実行委員会共同代表になりました。95年から30年たっても事件は繰り返され、政府が事件を隠蔽(いんぺい)していたことも明らかになりました。軍拡優先で人権がないがしろにされています。

 自民党の西田昌司参院議員の発言をはじめ、政治家による史実の歪曲(わいきょく)・捏造(ねつぞう)が、沖縄の歴史を踏みにじっています。自民党は再び沖縄を戦場にしようとしているのではないか。先島諸島からの避難まで計画していますが、また沖縄を「捨て石」にするのか。

 「軍隊は住民を守らない」という、県民が苦痛のなかで積み重ねてきた歴史や学びを軽んじ、壊すことに抵抗しなければなりません。戦後80年を生きているようにみえて、戦前は目の前にある。今回の選挙は、歴史をかけたたたかいです。この軍拡を、沖縄を戦場にする動きを必ず止めたい。

 辺野古の米軍新基地建設反対を貫く沖縄を国は冷遇しています。参院選必勝で国政からオール沖縄の玉城デニー知事を支えたい。

 ▽日々のくらしを安心して生きる▽多様性を認め、差別のない社会に生きる▽基地被害のない沖縄で平和に生きる―の三つの「生きる」を政治の真ん中にたたかい抜く決意です。(聞き手・小林司)


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