2025年4月30日(水)
主張
ベトナム解放50年
平和の流れ広げた歴史的貢献
1975年4月30日、米国と戦ってきたベトナムの解放勢力がサイゴン(現ホーチミン)を解放、南ベトナム傀儡(かいらい)政権は全面降伏し、米軍は逃げ出しました。ベトナム人民の偉業は、植民地支配下にあった国が独立する21世紀の構造的変化への歴史的な貢献となりました。
アジアの小国ベトナムが、「独立と自由ほど尊いものはない」(ホー・チ・ミン主席)と団結して戦い、世界最強の米軍に勝利したことは、世界の進歩と平和を求める人びとに大きな勇気と影響を与えました。正義の前に米国が初めて経験する「敗北」でした。
ベトナムは戦前、植民地支配していたフランス、武力進駐してきた日本軍と戦い、45年9月、独立を宣言しました。再び侵略してきた仏軍も打ち破りましたが、米国が、ベトナムの独立を認めたジュネーブ協定(54年)を踏みにじり、介入したため凄絶(せいぜつ)な解放闘争が続きました。
■各地で支援活動が
米国は米駆逐艦がベトナム軍に攻撃されたというトンキン湾事件(64年)をでっちあげ、本格的な軍事侵略を開始しました。米兵50万人以上が展開し、韓国、オーストラリアなども参戦しました。第2次世界大戦を上回る爆弾が投下されるなどすさまじい攻撃で、数百万人のベトナム人民が犠牲になりました。
女性や子どもなど村民504人を虐殺したソンミ村事件や300万人の被害者を出した枯れ葉剤(合成化学物質)の散布など侵略戦争の残虐な実態は世界に衝撃を与え、米国内をはじめ世界で反戦運動を広げました。
「沖縄がなければベトナム戦争は戦えなかった」(米太平洋軍総司令官)といわれるように、日本はベトナム侵略の一大補給・出撃拠点となりました。
膨大な軍需物資、武器・弾薬が日本からベトナムに送られ、沖縄からB52戦略爆撃機が出撃し、訓練を受けて米兵が派兵されました。
これに対し日本人民は、ストライキ闘争を含む10・21国際反戦デー、相模原総合補給廠(しょう)で修理した戦車のベトナムへの輸送を阻止した闘争、「ベトナム人民支援募金」など多彩なベトナム支援行動を各分野、地域、職場、学園で取り組みました。日本人民のたたかいは、安保条約廃棄、沖縄返還闘争と結んで高揚しベトナム人民への大きな励ましとなりました。
日本共産党は、ベトナム人民支援の先頭に立ちました。国際的にも、ソ連や中国などとは接近しながらベトナムなどを各個撃破していくという米帝国主義の世界戦略の危険を告発、ベトナム人民支援の国際統一戦線をよびかけるなど貢献しました。
■大国の干渉許さず
ベトナム人民の勝利、その後の東南アジア諸国連合(ASEAN)の発展によって、東南アジアは大国の干渉を許さない団結と自立の地域となり、地域一体となって平和と協力の仕組みづくりを進め、最大の戦地から平和の発信地への劇的な変化をつくりだしました。
この平和の大きな流れとともに日本も歩んでいくことが求められます。