2025年3月19日(水)
主張
治安維持法100年
日本のいまを問う歴史の教訓
19日は100年前、「希代の悪法」といわれる弾圧立法・治安維持法が天皇制政府によって帝国議会で成立させられた日です。敗戦後、連合国軍総司令部(GHQ)の指示で廃止され、今年で80年になります。
治安維持法は、天皇が絶対的な権力をもつ政治体制=「国体」変革をかかげる組織と運動を極悪犯罪としました。天皇絶対の政治や侵略戦争に反対する日本共産党を最大の弾圧対象としました。
■戦争遂行の弾圧法
治安維持法のもとで特高警察は弾圧の対象を無制限に広げ、労働組合はもちろん、社会民主主義者や多くの文化・知識人、宗教団体まで弾圧しました。国民を監視、自由と民主主義を圧殺し、戦争に反対する声を押しつぶしました。
中国侵略戦争を開始した1931年に検挙者数が倍加して1万人を超え、1941年の米国への真珠湾攻撃の翌日に一斉検挙がおこなわれたことに示されるように、戦争遂行と一体の弾圧法でした。
拘引・拘束は数十万人、検挙者は6万8274人、拷問による虐殺93人、獄死128人をはじめ弾圧が原因で命を落とした人は500余人をかぞえ(治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟調べ)、日常的な監視、予防拘束・拘禁など人権を蹂躙(じゅうりん)した狂暴な弾圧が荒れ狂いました。植民地としていた朝鮮や台湾、「満州国」にも治安維持法が発動され、死刑執行など多くの弾圧犠牲者を出しました。
治安維持法の歴史は決して過去の問題ではありません。
戦後、多くの特高官僚が自民党国会議員になり、文部大臣や法務大臣にも就いてきました。政府は、治安維持法はその時代にあっては適法に制定され、刑の執行も適法におこなわれたものだと開き直り、弾圧被害者への謝罪も賠償も拒否しています。戦前の暗黒政治の潮流を断ち切ることは、戦後80年の日本の大きな課題のひとつです。
治安維持法の歴史が教えるのは、「戦争する国」は戦争反対の声を封じるために、集会、結社、言論・出版などの表現の自由や学問の自由をはじめ、国民の権利を奪う弾圧立法を企てるということです。
■再来許さぬ闘いを
実際、「戦争する国」への道がすすめられる現在、盗聴法、秘密保護法、共謀罪、基地周辺土地規制法など、国民の目・耳・口をふさぐ弾圧立法が強行され、学術会議の独立・自律を奪う法案が今国会に提出されています。こうした流れを許さない国民のたたかいが続いています。
今日の日本は戦前とは根本的に違います。日本共産党が求めた主権在民、平和をかかげた憲法と、それを支える国民的基盤があります。共産党と「しんぶん赤旗」も活躍し、国会、地方議会はもちろん、各地の地域、職場で日常的に活動しています。世界でも、植民地体制が崩壊し、多くの主権国家が誕生するという構造的な変化が起き、紆余(うよ)曲折はありながらも、おしとどめられない平和と社会進歩の潮流が発展しています。
日本共産党は、暗黒政治の再来を許さず、戦争の道を繰り返さないために、多くの国民とともに力を尽くします。