2025年2月26日(水)
2025焦点・論点
治安維持法の歴史と今
小樽商科大学名誉教授(日本近現代史) 荻野富士夫さん
侵略戦争と国民弾圧の武器 「法の暴力」再来防ぐ運動を
戦前の弾圧法として猛威を振るった治安維持法の施行から100年。石破茂政権が大軍拡を加速して戦争への道を歩む今、同法の歴史から何を学ぶべきか、小樽商科大学名誉教授の荻野富士夫さん(日本近現代史)に聞きました。(伊藤紀夫)
![]() (写真)おぎの・ふじお 1953年埼玉県生まれ。小樽商科大学名誉教授。専攻は日本近現代史。著書に『思想検事』『特高警察』『よみがえる戦時体制―治安体制の歴史と現在』『検証 治安維持法―なぜ「法の暴力」が蔓延したのか』など多数 |
―小説『一九二八年三月十五日』で日本共産党への大弾圧を告発した小林多喜二が特高警察の拷問で虐殺されるなど、治安維持法は希代の悪法といわれていますが。
治安維持法は「国体の変革」を目的とする結社の組織、加入に刑罰を科す法律でした。君主制の廃止を主張する日本共産党は「国体」を変革する「悪逆非道」で「不逞(ふてい)」な「秘密結社」として弾圧されたのです。1928年の三・一五事件では党員、労働組合員ら約1600人が検挙され、483人が起訴されました。
31年の満州事変(中国東北部への侵略)について多喜二は「戦争が外部に対する暴力的侵略であると同時に、国内においては反動的恐怖政治たらざるを得ない」と告発しました。治安維持法は「来るべき戦争遂行の準備」のための最強の武器となり、抵抗した多喜二は33年に虐殺されたのです。
―25年3月、治安維持法と同時に25歳以上の男性に選挙権を認める普通選挙法が成立します。共産党や民主的運動を抑えようという天皇制政府の意図が見えますね。
![]() (写真)虐殺された小林多喜二の遺体を囲む人たち=1933年2月22日、東京・馬橋(現在の杉並区阿佐谷南)の小林宅 |
治安維持法には前史がありました。ロシアで社会主義革命、国内で米騒動が起こるという世界的な変動に統治体制の再編を迫られた政府は、20年前後から新たな治安立法の準備を急ぎました。すでにある治安警察法では労働運動や農民運動の取り締まりには有効だが、「過激思想」の伝播(でんぱ)や「秘密結社」には不十分と考えられました。22年の過激社会運動取締法案は廃案となりますが、その後も起草が続けられた結果、治安維持法、普通選挙法、日ソ基本条約が25年に三位一体で実現することになったわけです。
―敗戦後に廃止されるまで20年間ですが、弾圧対象が拡大しますね。
前半10年間は共産党への弾圧に使われ、35年に組織的な運動を壊滅させるまで続きます。28年には最高刑を死刑に引き上げ、「目的遂行罪」を設けて共産党の目的のため活動していると特高が判断すれば検挙、投獄できる打ち出の小づちとして使われます。しかし、それはあくまでも共産党とその周辺という範囲の拡張解釈でした。
ところが、その後の10年間の拡張解釈では、社会民主主義、共産主義思想の啓蒙(けいもう)活動、大本教やキリスト教などの宗教、反戦平和の主張にも襲いかかっていきました。
その中で「国体」は不可侵なものとして猛威を振るいます。「国体」は35年の天皇機関説事件を機とする「国体明徴」運動や国民精神総動員運動などを通じて、治安維持法という法的規範を飛び越えて国民全般を呪縛して侵略戦争へ動員していったのです。
―日本の植民地でも治安維持法は猛威を振るっていたのでしょうか。
植民地の朝鮮と台湾だけでなく、かいらい国家の「満州国」にも日本の治安維持法をモデルとした治安維持法が施行され、日本国内以上の「法の暴力」が吹き荒れました。日本の支配に抵抗する民族独立運動、抗日運動、共産主義運動を「国体の変革」をめざすものとして過酷に弾圧したのです。
日本では治安維持法による死刑判決はありません。朝鮮では主に刑法との併合罪ですが59人が、「満州国」ではおそらく2000人弱が死刑となっています。抵抗運動に対する見せしめという意味もありますが、絶対に許さないという意思を示すために、最高刑での処罰が横行しました。
―治安維持法は“当時は適法だった”という政府の姿勢をどう見ますか。
共謀罪法の審議で金田勝年法相(当時)は「治安維持法は当時適法に制定された」とし、刑の執行も「適法」と答弁しました(2017年)。「悪法も法なり」という治安維持法擁護論です。
治安維持法が悪法だということは今ある程度、理解されていると思います。たとえば、中学、高校の教科書では、25年の普通選挙法の実施と一緒に並んで治安維持法の記述があり、受験の試験問題にも出題されています。去年のテレビドラマ「虎と翼」にもありましたが、映画や小説も含め、特高の人権じゅうりんの拷問、自白の強要、検察や予審での虚偽の尋問調書で有罪に持っていくことは知られてきています。
そもそも社会変革の運動や思想を、強権で押さえ込むところに悪法の本質があります。天皇制政府が「不逞な輩(やから)」とした共産党の主張は植民地独立、男女普通選挙、言論・集会・出版・結社の自由、8時間労働制などですが、これらは戦後の憲法に盛り込まれた普遍的な価値観です。こうした主張を弾圧した法律は悪法でなくて何でしょうか。
―大軍拡に呼応して警察の権限を強化する立法が相次ぐ現状をどうとらえていますか。
「戦後レジームからの脱却」を掲げた安倍晋三政権下で特定秘密保護法、安保法制、共謀罪法と新たな戦時体制の構築が一挙に加速した当時、私は「新しい戦前」という言葉で表現しました。
今、大軍拡を進める石破政権が閣議決定した「能動的サイバー防御」法案は警察と自衛隊に強大な権限を与えて国民を監視する仕組みになっています。もう「新しい戦中」の前夜で、治安維持法は今も形を変えて生きているといえます。
52年に破壊活動防止法が制定されましたが、「治安維持法の再現」「特高警察の復活」という世論の猛反発の中で、その発動を阻んできました。「新しい戦中」にしないためには、戦時体制づくりの悪法の本質と問題点を洗いざらい指摘して反対運動を盛り上げ、国民が悪法を監視して歯止めをかけていくことが必要だと思っています。










