2024年10月23日(水)
核禁条約 署名・批准を
外国特派員協会で会見
被団協の田中代表委員
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ノーベル平和賞の決定を受け、日本原水爆被害者団体協議会の田中熙巳(てるみ)代表委員は22日、日本外国特派員協会で会見し、日本被団協の歴史と役割、核兵器廃絶に向けた決意を語りました。
田中氏は、1945年8月9日、長崎の自宅2階にいたとき、真っ白い光に包まれ気を失ったものの一命をとりとめた一方、5人の伯母たちの命が奪われたと証言しました。3日後に入った市内の壊滅した状況を見て「戦争は行ってはいけないというのが信念になっている」と紹介。54年のビキニ事件に対する国民の怒りが原水爆禁止運動となり、56年の日本被団協結成につながったと述べました。
結成宣言で、「自らを救うとともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おう」と決意を誓い合ったと紹介。その後、核廃絶の運動を展開し、国内外で証言や原爆パネル展を行うなど被爆の実相を広げてきたことがノーベル平和賞につながったと話しました。
日本が米国の「核の傘」に入り続けていることについて、「被爆者は各地で証言をしてきたが、国民に十分に伝わっていないため、政府の方針を変えることができていない」と述べ、「核兵器のない世界」に向けて日本政府が核兵器禁止条約に署名・批准するよう求めていくと決意を語りました。