2024年10月12日(土)
きょうの潮流
仏語の「娑婆(しゃば)」には煩悩から抜け出せない衆生が苦しみに堪えて生きている所という意味があります。転じて捕らわれの身となった人たちから見た、外の自由な世界を指すように▼1980年に確定死刑囚となった袴田巌さんは、ラジオから流れてくる音をかみしめながら「心で娑婆とのつながり」を得ていたといいます。3畳ほどの独房で無実の叫びを胸に死が迫りくる日々。どれほど無念だったか▼逮捕からおよそ半世紀。10年前に釈放された袴田さんは最初、家の中を歩き回っていました。独房でそうしていたように。その後、少しずつ外に出て買い物や外食も。長年の拘禁で心身をむしばまれながら、なんとか自由の世界に慣れようと▼証拠をねつ造してまで罪をかぶせ、ひとりの人生を奪った警察や検察の非道。それを省みるどころか再審で無罪が決まっても検事総長は「到底承服できない」とする談話を。これには弁護団も、まだ犯人扱いで「名誉毀損になりかねない」と怒りをあらわに▼晴れて袴田さんの無罪が確定した日。えん罪被害をうけた大川原化工機の社長らが国と都に損害賠償を求めた訴訟の控訴審がありました。かかわった警察官は、捜査の進め方について「問題があった」と証言。ねつ造の構図は今も▼袴田さん無罪をかちとった姉のひで子さんは「権力とたたかうには、あきらめてはいかん。何年かかろうとそれしかない」と言い切ります。巌にはせめて長生きさせたい、自由を味わわせたい―その言葉をなんと聞く。