2024年10月6日(日)
きょうの潮流
懐かしい人に会いたくて、山梨県立文学館で開催中の金子兜太(とうた)展に出かけました。訃報に接したのがつい先日のようで、もう6年以上がたっているとは驚きでした。2018年2月逝去、享年98▼浮かぶのは、金子さんの墨痕鮮やかな「アベ政治を許さない」のプラカードです。2015年、安倍政権が強行した戦争法(安保法制)反対の旗印として運動を励ましました。その年の元日付本紙文化面には新年詠「年明ける」を寄せています。〈困民史につづく被曝(ひばく)史年明ける〉〈山茶花(さざんか)も水仙も咲く人よ生きよ〉▼原点はトラック島での戦場体験でした。空爆で黒焦げになった小島で機銃掃射を浴び散り散りに吹き飛ぶ仲間。飢えにさいなまれ草をはみ下痢に苦しみながら餓死していったあの顔、この顔。敗戦後、米軍の捕虜となり、1946年11月、最終の復員船で帰国しました▼その時の光景を詠んだ句が〈水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る〉。甲板に立ち遠ざかる島を見つめていると、死んだ仲間たちが見送っている気がしたと語っています▼反戦の思いは体から体へと伝えるのが大事で、そのために俳句は力を発揮すると信じていました。長崎での句〈彎曲(わんきょく)し火傷(かしょう)し爆心地のマラソン〉からは、炎天下の走者の向こうに焼けただれ骨も溶けた被爆者の姿が見えてきて戦慄(せんりつ)が走ります▼好きな一句を挙げるとすれば〈梅咲いて庭中に青鮫(あおざめ)が来ている〉。梅香る平和な庭に集うのは、南の海に漂う死者の魂でしょうか。戦争を伝え続けた人でした。








