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2024年8月26日(月)

きょうの潮流

 スペイン南部の町、コリアデルリオには「ハポン」の姓をもつ人たちが多くいます。スペイン語で日本を意味するハポン。その理由は410年前にさかのぼります▼1614年(慶長19年)、仙台藩・伊達政宗の家臣支倉常長が率いる慶長遣欧使節がスペイン南部の港に入港し、この町に滞在しました。その際に来訪したまま現地にとどまった団の一員たちの子孫だといわれています▼支倉一行はその後、首都マドリードでスペイン国王フェリペ3世に謁見(えっけん)。ローマにも足をのばし、教皇パウロ5世に会うこともかないました。そして1620年(元和6年)のきょう、仙台に帰還したと伊達家の記録にあります▼仙台市にある青葉城資料展示館の大沢慶尋(よしひろ)主任学芸員の研究によると、使節派遣は直接貿易を求めたもので、1611年に起きた慶長三陸地震・大津波からの復興が背景にあったといいます。当時世界が大航海時代にあったなかで欧州の一方的な利益ではなく、対等な双方向の関係に変えようとした試みだったと▼今年6月にはスペイン大使館が「慶長遣欧使節がスペインに遺(のこ)したもの」と題した講演会を開催。使節を乗せた船サン・ファン・バウティスタ号の廃材でつくられたギターによる演奏や、東日本大震災の被災者による合唱で交流しました▼スペイン大使は感謝を込めて、こう語りかけました。「私たちは未来を見据えながら、かつてない地理的、文化的、精神的な航海が両国を結びつけたことに思いをはせることでしょう」


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