2024年8月25日(日)
きょうの潮流
お気に入りのフレーズが自身のホームページに紹介されていました。「人生は暗い一面と輝く一面と、いつでも二つの面がある。でも明るい方を見ようと努力すれば、太陽はきっと君を抱いてくれるよ」▼コンサートの最後によく歌ったという「陽気にゆこう」。それは夜明けの希望にも似た「陽」の気を持ちつづけたいと話していた、高石ともやさんの生き方そのものでした▼大ヒットした「受験生ブルース」、観衆と一緒に声をあわせた「想い出の赤いヤッケ」、ベトナム戦争反対をたたかった人々と口ずさんだ「拝啓 大統領殿」。若者たちがギターを抱え、反戦や反体制を訴えた熱い時代を、フォークソングの草分けとして走り続けました▼「君たちは新しい日本の歌をつくってくれ。ぼくらの世代には自分たちの世代の歌がないんだ。君たちは、君たちの世代の歌を持てよ」。作家の開高健からかけられた言葉を忘れず、各地の学校や集会、イベントに足を運びました。その姿は赤旗まつりでも▼国内外のマラソンやトライアスロンの大会に出場し、アメリカ横断レースを走破したランナーでもありました。反核平和マラソンでは「核兵器という最大の暴力を廃止するために走りたい」と▼「フォークは叙事詩だと思う。時代や人間を客観的に見つめて歌わないとね。ギター一本の、ひ弱な表現手段のようだけど、心の持ち方を大きくやってきました」。そう本紙に語っていた高石さん。志高く、平和のために歌い続けた82年の人生でした。