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2024年8月9日(金)

きょうの潮流

 「赤い背中の少年」の写真を凝視していた幼少期の記憶。目を閉じ青ざめた表情に、生きてるの? 死んでるの? そばにいた父に「この子、死んだっちゃろ?」と尋ねました▼「なんばいいよっとか。生きとうくさ!」。尊敬する被爆者・谷口稜曄(すみてる)さんに失礼だと、福岡県原水協で働いていた父は、語気を強めました。1970年代のことです▼谷口さんは当時、背中の痛みに耐えながら、各地で語り部の活動に。「アメリカには何時間もかかるけん、飛行機の中で寝るやろう。谷口さんは背中が痛むから、夜もリクライニングにせず、背中をまっすぐに立てたままやった」と父▼体にケロイドや障害を負い、放射線に蝕(むしば)まれた被爆者にとって、遠距離の旅は命がけでした。それでも、“世界の誰にも同じ地獄を味わわせない”と国連をはじめ各国でスピーチしました▼苦しみは病魔だけでなく、貧困や障害者差別、放射能被曝(ひばく)への差別もありました。核兵器廃絶の運動にたいして「売名行為」「アカ」とレッテルを貼る心ない攻撃を受けたことも。原爆投下のその年、広島と長崎では20万を超える人々が亡くなりましたが、生き残った人々の地獄の始まりでもあったのです▼2017年、核兵器禁止条約の採択を見届け、谷口さんは永眠しました。先日、広島で開かれたNGO討論会で共産党の田村智子委員長は、「『核抑止論』の呪縛を断ち切り、核兵器禁止条約への参加を決断することが求められている」と。被爆者の苦難に報いるべき時です。


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