2024年7月25日(木)
1968年チェコスロバキア侵攻
正義の声あげソ連と闘った日本共産党。どれだけ励みになったか
元チェコ外相語る
緒方靖夫
![]() (写真)欧州左翼党の夏季大学で同席したカバン・チェコ元外相(右)と緒方副委員長 |
スペイン北部のミエレスで11~14日に開催された「夏季大学」(欧州左翼党などが主催)で、日本共産党の自主独立の闘いに改めて思いをはせる出会いがありました。
その人はチェコ共和国のヤン・カバン元外相(77)。ガザ問題の討論では、ジェノサイド・ストップの運動を世界的に広げようと熱心に訴え、欧州連合(EU)拡大の円卓会議では、外相時代に自国の加盟問題に取り組んだ経験を語っていました。
食事で一緒の席になった際に、私から「日本共産党」と自己紹介すると、カバン氏は即座に、1968年のチェコスロバキアへのソ連などの軍事侵攻のことを語り始めました。「日本共産党が軍事侵攻・占領に強力に抗議したことも、その前からわが国の自主的な立場への支援をしてくれたことも知っている」というのです。
カバン氏は、当時のチェコ全国学生運動の指導者。ソ連が、侵略の前に全国学生組織を分裂させた際に、自主派組織に属していました。私より1歳年上の彼は、日本共産党がソ連と大論争をして正義の声を上げ、闘ってくれたことがどれだけ励みになったかと話しました。
私が、侵攻直前の68年夏、ブルガリアのソフィアで開かれた世界青年学生祭典に参加し、チェコの自主派の学生組織と会ったと話すと、身を乗り出して、それは“われわれの人間だ”と述べました。
私は、祭典から日本への帰路、ソ連のナホトカ港から新潟に向かう船上で軍事侵攻が起きたことを知りました。「ついにやったな」と思うと同時に、「助けてほしい」と叫んでいたチェコの学生組織の幹部の声と顔が目に浮かんだことを思い出しました。
ソ連の横暴や覇権主義に対して平和と社会進歩の側に立って闘った二人が56年の歳月を経て邂逅(かいこう)し、今日も元気に新しい課題に挑戦している。ここに共に深い感慨を覚えたのでした。私が「バリケードの同じ側にいたんだ。われわれは」と述べると、「そうだよね」。二人は抱擁を交わしました。
カバン氏は、軍事侵攻後英国に亡命し、チェコの体制が崩壊後に帰国。社会民主党を立ち上げ、総選挙で与党になり、98年から2002年まで副首相・外相を歴任しました。02年には国連総会議長を務め、アラブ・イスラエル紛争の調停に尽力したものの、「うまくいかなかった」とも話しました。
カバン氏は、自分の「原点は平和」だから「平和活動家」であり続ける、どこにいようとどの部署にあろうと平和活動に全力をあげているのだ、と力を込めました。その言葉が心に響きました。(日本共産党副委員長)
チェコスロバキア侵攻 1968年、東欧のチェコスロバキアの政府や与党の共産党が、旧ソ連によって押し付けられた抑圧体制から抜け出す動きを強めました。ソ連指導部はこの自主的な国づくりを脅威として非難し、同年8月、東欧5カ国とともに軍隊を派遣して、チェコの政府・党指導部を逮捕し、全土を占領。日本共産党は民族自決権擁護の立場から、侵攻前の7月、チェコ共産党に電報を送り、自主的態度を堅持するよう激励。侵攻後には幹部会声明を発表し、干渉の即時中止と軍隊の撤退を要求しました。









