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2024年6月6日(木)

陸自HPに沖縄戦司令官 辞世の句

住民巻き添えの戦闘を美化

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(写真)旧日本軍の沖縄戦の牛島司令官の辞世の句と、沖縄戦の犠牲者を「散華」「英霊」と記述した陸自第15旅団のホームぺージ

 那覇市に駐屯地がある陸上自衛隊第15旅団がホームページに太平洋戦争末期の沖縄戦の旧日本軍司令官の辞世の句(自決前に詠む短歌)を掲載していることがわかりました。多数の県民を巻き添えにした沖縄戦を美化するもので、沖縄戦の悲惨さへの理解が疑われます。

 3日付の琉球新報が報じました。15旅団のホームページに、旧日本軍第32軍の牛島満司令官の「秋待たで 枯れ行く島の 青草は 皇国の春に 甦らなむ」とする辞世の句を大きく掲載しています。

 沖縄戦は1945年3月末から米軍が慶良間諸島や沖縄本島に相次いで上陸し、3カ月以上にわたり住民を巻き込んだ地上戦です。旧日本軍が、本土決戦までの時間稼ぎを企図したものとされます。

 牛島司令官が自決した同年6月23日が沖縄戦の終結とされていますが、牛島司令官が自決前に出した徹底抗戦の命令に従い、その後も戦闘を続け、犠牲者を出し続けた地域があります。

 ガマ(洞窟)に避難した住民を日本兵らが追い出したり、住民に「集団自決」を強要したりしました。「鉄の暴風」と呼ばれるほどの米軍の猛攻でした。第15旅団は今なお、沖縄県内に残る当時の不発弾処理を担っています。

 また第15旅団のホームページには、同旅団の前身である陸自臨時第1混成群の初代群長の訓示を載せています。訓示は沖縄県が1972年に日本に復帰した際のもの。「沖縄作戦において風土・郷土防衛のため散華された軍官民20余万の英霊に対し、この決意を誓うとともに御霊安かれと祈念する次第である」として、沖縄戦の住民も含めた犠牲者を「散華(花びらが散るように美しく死ぬこと)」「英霊」としています。どちらも、靖国神社など戦前の天皇制政府と旧日本軍が戦没した軍人らを美化するために用いた呼び方です。

 木原稔防衛相は4日、「歴史的事実を示す資料として掲載することが部隊の意図だった」と釈明しました。

 自衛隊幹部らの靖国神社集団参拝など、旧日本軍への回帰意識の強まりをうかがわせる事態が相次いでいます。


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