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2024年5月17日(金)

ナクバ 76年前故郷奪われ

ガザ また住まい追われる

攻撃はるかに残忍 飢えと渇き

 【カイロ=秋山豊】パレスチナは15日、1948年のイスラエル建国で約75万人が難民となったナクバ(大災厄)を想起する日を迎えました。イスラエル領となった村の出身で現在ガザに暮らすファティマさん(87)は、今回のイスラエルの侵攻でまたも住まいを追われ、家族と繰り返し退避を強いられています。ユダヤ人による攻撃から逃れた76年前の記憶と今を重ねています。


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(写真)パレスチナ難民のファティマさん(左)と孫(ファティマさんの家族提供)

 ファティマさんは14日、本紙の電話取材に応じ、「私は11歳でユダヤ人の部隊に故郷の村を追われ、おいを背負って逃げた。今はガザで息子と孫に背負われ、バスに乗って逃げている」と話しました。

 前日に、イスラエル軍が空と地上から攻撃を強めている南部ラファから、中部デイルバラに逃れたばかりです。ラファに退避する前は、やはり激しい攻撃にさらされてきた北部のジャバリヤ難民キャンプに暮らしていました。

家と広い農地が

 ファティマさんの故郷は、北部ガザ市から約20キロメートル北東にあった村でした。家と広い農地があり、野菜や果物を植えながら両親やきょうだいたちと暮らしていました。

 村での幸せな生活は1948年、ユダヤ人部隊の襲撃で破壊されました。彼らは農民を殺し、子どもたちの命を奪いました。ファティマさんの家族も犠牲になりました。

 ファティマさんは当時、暗くてほこりっぽい通りをはだしのまま逃げました。爆撃される恐怖のなか、ガザ北部のジャバリヤにたどり着くまで複数の村と都市を逃げ回りました。

 イスラエル軍が現在ガザで行っている攻撃について、ファティマさんは、はるかに残忍だと語ります。「今回ほどの攻撃は経験がない。娘の夫と彼の父親も殺された。銃殺された親族もいる。近所の住民は空爆で大勢殺された。子どもを含め一家を全滅させる攻撃も行われている」と話しました。

 「飢えと渇きもより深刻だ。76年前、私たちは逃げる途中で畑の野菜を採って食べ、人びとと食料を分けあって飢えをしのいだ」と言います。現在のガザはイスラエルによる封鎖で水も食料も絶対的に不足し、国連は北部で本格的な飢饉(ききん)が起きていると警告しています。子どもの栄養失調が広がっています。

移住強制は屈辱

 ファティマさんは「手放すことを強制された故郷に戻ることを私は待ち望んできた。しかしガザでもイスラエルに移住を強制されている。屈辱的で大きな損害だ。ジャバリヤの自宅に家族と今すぐ戻りたい」と語りました。

 ナクバとパレスチナ難民 1948年のイスラエル建国を前後して、200以上の村が破壊され約75万人のパレスチナ人が故郷と家を失いました。パレスチナではこれを「ナクバ(大災厄)」と呼んでいます。この時、故郷を追われた人々とその子孫がパレスチナ難民で現在、約590万人にのぼります。このうち150万人以上がヨルダン川西岸、東エルサレム、ガザ、ヨルダン、レバノン、シリアの難民キャンプに暮らしています。ガザでは人口約230万人のうち約170万人が難民。国連総会は48年、パレスチナ難民の故郷への帰還権を認める決議194を採択しましたが、イスラエルは帰還を拒否しています。(カイロ=秋山豊)


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