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2024年4月19日(金)

きょうの潮流

 日本で最初の博覧会が開かれたのは明治初期の京都でした。外国人向けに初の英語ガイドブックを作成。余興として始まったのが「都をどり」です▼幕末の戦火で京の街は荒廃。天皇が東京に移ったことで公家や豪商ら多くが離れ、衰退の危機に直面していました。博覧会を復興の契機に。そう呼びかけたのが、会津藩士だった山本覚馬(かくま)でした▼新島八重の兄だった覚馬は理想とする国づくりの子細な方策を新政府に建白。産業振興とともに教育にも力を入れ、近代化の礎を築きます。博覧会開催にはその一端が示されていました▼それから150年余、万国博覧会が大阪で開かれようとしています。開幕まで1年を前に会場の夢洲(ゆめしま)周辺を回りましたが、砂地が広がり、建設の遅れは明らか。さらに巨額の税金が投入される恐れもあり、ダンプが往来する姿に「行き先が違うのでは」と被災地に思いを寄せる市民の声も▼ガス爆発が起きるなど廃棄物の処分場を会場としたリスクは大きく、震災で陸の孤島になる危険も指摘されています。そして、待ち構えるのはカジノ。反対の立場を示す大阪の弁護士は「万博は科学の発展や多文化を体感させる場でもあるが、ギャンブルは人間をダメにする」▼国際博覧会条約は第1条でこう定めます。「博覧会とは公衆の教育を主たる目的とする催しであって、文明の必要とするものに応ずるために人類が利用することのできる手段または将来の展望を示すもの」だと。それに逆行した舞台に未来は開けません。


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