2024年2月1日(木)
能登半島地震1カ月
防災計画 被害想定が過小
避難所整備・救援遅れ なぜ?
元日に発生した能登半島地震から1カ月たちます。この間、救援活動の遅れや避難所の体制が整わないなどの問題が起きました。その原因のひとつに、石川県の地域防災計画の被害想定が不十分だったことが指摘されています。(嘉藤敬佑)
県地域防災計画の「地震災害対策編」では、▽能登半島北部沖の日本海に横たわる「能登半島北方沖の地震」▽七尾市から南西に伸びる「邑知潟(おうちがた)の地震」―などを想定しています。いずれも、マグニチュード(M)7・0となっています。
同計画では「能登半島北方沖の地震」を、「ごく局地的な災害で、災害度は低い」としています。最も被害が集中する輪島市でも建物全壊は115棟の想定にとどまりました。避難者数も1085人としています。
「邑知潟の地震」では、「能登中部地域と周辺地域の一部に大きな影響を及ぼす災害」とされ、七尾市で2509棟、羽咋市で1075棟、中能登町で1565棟の全壊を想定していました。ただ輪島市で全壊2棟、珠洲市ではゼロとしています。
今回の能登半島地震(M7・6)のエネルギーは、想定の約8倍でした。輪島市だけで避難者が発災直後は1万人を超え、建物被害は31日時点で2082棟を超えました(全壊、半壊、一部破損の区別なし)。
なぜこれほどの差が生まれたのか―。
県は阪神・淡路大震災(1995年1月)の後、95年度から3年かけた調査を基礎資料として計画を作成。その後、四半世紀たつのに見直していませんでした。
他方で、県は東日本大震災後、2012年に策定した同計画の「津波災害対策編」で、能登半島北方沖の断層が動いた場合、M7・66になるとしました。しかし、この想定は「地震災害対策編」には反映されないままでした。
日本共産党の佐藤正幸県議は、東日本大震災以降、県議会で繰り返し地域防災計画の見直しや充実を求めてきました。最大震度7を観測した16年の熊本地震後には、「避難計画の検討も含めて、ぜひ真剣な検証が必要だ」と提案しています。
07年には能登半島で最大震度6強の地震が発生。石川県震災対策専門委員会は08年2月、「地震の検証結果を踏まえ今後推進すべき施策大綱」と題した報告書を策定。このなかで、検証結果を防災計画に反映するよう求めていました。
佐藤県議は「ここ数年も地震活動は続いていたが、防災計画の見直しは進まなかった。国の調査が進んでいる最中で、県としては結果がまとまってから防災計画を見直すというスタンスだった。後回しになっていた」と振り返り、こう指摘します。
「新幹線や大規模道路などの大型開発を優先させ、災害対策を含めた暮らしの応援は後回しの県政に問題がある。なぜ今まで不十分だったのか反省と検証を中心に据え、防災計画を見直すべきだ」








