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2024年1月29日(月)

能登半島1.1地震

コロナまん延 災害関連死も

能登町 避難所生活送った女性

行政へ要望届けたい

 能登半島地震で被害を受けた石川県能登町に住む女性(75)は、1日の発災後すぐ、避難所となっていた近くの松波中学校に避難し、10日間の避難所生活を送りました。新型コロナのまん延や介助の必要な高齢者への対応など、避難所生活で感じた問題点を聞きました。(鈴木平人)


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(写真)地震の影響でつぶれた家屋=27日、石川県能登町

 松波中学校の体育館には、当初400人ほどが避難していましたが、女性がまず最初に気になったのは換気の問題だといいます。「担当者に話してすぐに1日2回の換気をするようにしましたが、案の定、新型コロナウイルスは早い時期からまん延していました」

 そうした状況下、女性は同避難所で災害関連死とみられるケースも目撃しました。介助者の助けがないと歩くことができない男性は、避難所で寝ているときもうめき声を上げていたといいます。決して良好とはいえない避難所の環境で病状が悪化したのか、避難して1週間ほどで亡くなりました。

 「始めから介護施設などへ避難させることはできなかったのでしょうか。親の介護は子がするものという、保守的な地域特有の考え方もあったように思います」と吐露します。

 自衛隊による入浴設備が整備されましたが、風呂おけのふちが高く踏み台もなかったため、入浴を自粛する高齢者も多かったといいます。

 食料は他地域や業者からの支援物資に頼ることが多く、支援が届くまでは1日でカップラーメンが1個だけの日もありました。そんな日は、モチなど正月の残り物を避難者で持ち寄って分け合い食べていました。「私自身、10日間の避難生活で4キロ体重が落ちました」

 医療支援などの活動をするNPO(非営利組織)が支援に入るまでは、避難所の中も整理されておらず、仕切りもまともに立っていませんでした。他地域からの支援者による炊き出しも、町の許可が下りないために路上で行っていたこともあるといいます。

 「避難した人に温かい食事を提供するようなことも考えられていなかったと思います。役所の職員だけで全てを回すのは難しいとしても、たとえば町会などと協力して、役所の職員が調整するような体制は取れなかったのでしょうか」

 能登地方ではこの間、大きな地震が多数起きています。せめて今回の震災を契機にしてほしいと、知人などから状況を聞き取り、行政へ要望を届けていこうと仲間たちと話し合っています。


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