2024年1月18日(木)
日本共産党第29回大会
能登へ届け 神戸の思い
兵庫の代議員 歌にのせて
阪神・淡路大震災から29年目の17日、静岡県熱海市の日本共産党第29回大会の会場前には震災をテーマにした「しあわせ運べるように」を歌う兵庫の代議員たちの姿がありました。神戸市の小学校教師が被災直後に作詞・作曲した歌です。“亡くなった人の分も大切に生きよう”“地震に負けない絆をつくろう”―。
こむら潤衆院予定候補(兵庫8区、比例重複)と、たつみコータロー、堀川あきこ、清水ただし各衆院近畿ブロック比例代表予定候補らが加わり、約20人で合唱。「傷ついた神戸」を「傷ついた能登」と歌い替え、能登半島地震被災地へのエールを込めました。大阪や京都、福島の人も合唱に加わりました。
大会参加者たちがスマホやカメラを構えて集まり、温かい拍手でこたえました。
先頭に立って歌った、ひびゆうこさん(衆院兵庫4区予定候補)は29年前の当日、もっとも被害が甚大だった神戸市長田区に住んでいました。看護師だった、ひびさんは、火災に巻き込まれることを免れましたが、自宅は全壊し、病院で寝泊まりすることに。「家がないのはみじめな気持ちでした。自分のテリトリーがないのがこんなにつらいものかと…」
「命の大切さを身にしみて感じました」と、ひびさん。PTSD(心的外傷後ストレス障害)を乗り越え、東日本大震災のボランティアで活動。「避難所で震える姿が、震災の恐怖を味わった自分と重なった。何かしなければと思ったんです」
2012年、福島県飯舘村に移住しました。原発事故で全村避難となった飯舘村で、置き去りにされた犬や猫の救餌活動をしてきました。「犬や猫の困難は、人間社会の縮図です。人間が救われる社会を実現しなければという思いを強くしました」
7年後、神戸に戻りました。「それが…なぜか立候補することになったんです。私、口ベタなのに…」
「あら? 口ベタってどういう意味だったっけ? 辞書で確認しなくちゃ」と一緒に大会に参加した女性は笑います。
今年の元日、能登半島地震の速報があった2時間後に、ひびさんは地域の党支部長グループに呼びかけ、翌2日には被災者救援募金活動を開始。18人が参加し、約6万円が集まりました。
「能登半島地震でもし原発事故が起きていたら、道路が断絶している状態で、住民はどこにも逃げられないまま放射線を浴びることになってしまいます」と憤ります。
「福島でも、共産党の初動の速さが現地での信頼につながっていることを実感しました。能登の人たちも、全国の仲間で支えたい」