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2024年1月13日(土)

能登半島1.1地震

70年住み慣れた家…「もう住めないかも」

被害深刻な能登島 嘆く避難住民

地図

 最大震度7を記録した能登半島地震。11日、石川県七尾市の能登島(人口約2400人)を訪れました。家屋の倒壊や断水で100人前後が避難生活を送ります。住み慣れた自宅を離れざるを得ず、「もう住めないかも」と嘆く声も聞かれました。(田中智己、津久井佑希)

 島内の東側の集落で家屋の損傷が顕著だといいます。歩くと、瓦屋根が道路に覆いかぶさるように崩れ落ちた建物や、膝の高さまで突き出したマンホール、車両の通行を妨げるほど曲がった電柱などが至るところで見られました。停車中の車を押しつぶすように崩れている建物もありました。

 避難所の一つ、能登島地区コミュニティセンター。いくつかの部屋に分かれて50人ほどが身を寄せます。玄関を入るとすぐ、生理用品からペット用品まで多くの物資が目に入ります。

写真

(写真)島の東部で、車に覆いかぶさるように崩れる建物=11日、石川県七尾市能登島

 家族4人で避難するのはAさん(79)。元日の集会所から始まった避難場所は3カ所目です。「3日前、初めてお風呂に入った。気持ちよくて気持ちよくて」

 「困っているのは洗濯ができないことぐらい。ぜいたくは言えんばいね」。気丈に話しますが、自宅は傾き、玄関扉や窓は外れて外に飛びました。大工の夫が調べると、家を支える柱が石の土台から落ちる寸前だとわかりました。

 築約70年。小学4年生だったAさんは、父親らが建築資材の杉の木を谷から運び上げるのを毎週日曜日に手伝いました。「そんな家だから、とても愛着があるの。でも、もう直せないと思う」

 市営アパートに住めることになりました。自宅の片付けが済み、荷物などが準備でき次第移る予定です。

 「先のことは考えられない。アパートから通うのは大変だけど畑は続けたい。野菜は元気に育っているから」

自宅修繕「お金ない」

高齢夫婦嘆く

 能登島地区コミュニティセンターに避難するBさん(82)、Cさん(80)夫妻は、2007年に発生した震度6強の能登半島地震を振り返りながら「あのときは家がまったくビクともしなかったけど、今回の揺れは何倍にも感じて怖かった」と語ります。

 今回、自宅は傾き、すべての戸が閉まらなくなったといいます。車庫にしていた納屋は倒壊。Bさんは、3台の車と1年分の米を保管していた保冷庫が「ぺちゃんこになった」と嘆きます。家の中にあった輪島塗の漆器も壊れました。集落内で行われる結婚式や葬儀などに使う品でした。Cさんは「大事な思い出の品だったのに…」と悔しさをにじませます。

 夫妻は発災後、能登島小学校に一時避難。10日に同センターへ移りました。畳の上に寝ることができる現在の環境に「感謝しかない」と話します。

 一方、避難所の閉鎖後について不安を募らせます。Bさんは「家を建て直すだけのお金もないし、息子や娘たちの家に行くわけにもいかない。家が全壊ではなくても修繕費などの支援が必要な住人は多い」と訴えます。

 島内を歩くと民宿を経営する男性(77)が息子と、蔵からはがれ落ちた外壁を撤去していました。皿などはほとんど割れ、ひびが入った壁もあるといいます。「全壊の人もいるなかで、まだ住める状態ではある。半分開き直ってるよ」

収集待つゴミ臭う

 地震発生後、ゴミ収集が本格的に再開されていません。50歳代の女性は「市から、おむつや生理用品など汚物以外は出せないと言われている」。別居する母親の分を含めて大きなゴミ袋三つを家の中に保管しています。「ちょっと臭ってきている。断水に比べれば我慢できるけど」


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