2023年11月3日(金)
きょうの潮流
初めは「姪の結婚」という題名でした。しかし、資料として使うはずだった病床日記がすでに処分されていたことがわかり、構想を大幅に変更することになったといいます▼井伏鱒二の「黒い雨」です。この小説は、原爆の実相を描くことに重点をおき、被爆者の重松静馬、被爆軍医の岩竹博の手記をもとに多くを取材。本人も「あれはルポルタージュ。あんな前例のないことは空想では書けないもの」と語っていました▼いま神奈川近代文学館で開かれている、没後30年の井伏鱒二展に最初の原稿が展示されています。何度も題名が書き直され、作者の思い入れが伝わってきます。連載開始時がベトナム戦争と重なったことから「戦争反対の気持ちも含めて書いた」▼井伏は1941年に43歳で徴用され、陸軍の報道班員としてシンガポールに滞在。退役して帰国後、疎開先の甲府で空襲にあっています▼井伏作品の特徴は市井の人びとの哀歓に寄り添う庶民性にあるといわれます。「山椒魚」に代表されるような生き物たちへの愛着も。「黒い雨」も日常の営みや人間性のうちに原爆の雨を降らせ、その非理を訴えました。被爆という世紀の体験のなかで、生やくらしが奪われてゆく民の悲しみを▼今も世界では市民の慟哭(どうこく)が続いています。日々の生活は破壊され命さえも。「黒い雨」の作中、次々と死体を運ぶ兵士がつぶやく場面があります。「わしらは、国家のない国に生まれたかつたのう」と。きょうは、自由と平和を愛する「文化の日」。








