2023年9月4日(月)
主張
民間の空襲被害者
国はさらなる苦しみ与えるな
アジア・太平洋戦争末期の米軍による空襲で、多くの民間人は心身に深い傷を負い、親やきょうだいを殺され孤児や遺族になりました。苦しみと悲しみは戦後78年たっても薄れることはありません。日本政府は「戦争被害は等しく受忍すべきだ」(受忍論)として民間の空襲被害者の救済を一貫して拒否しています。一言の謝罪もなく、受忍論を押し付ける政府の姿勢が被害者をさらに苦しめています。民間の戦争被害者を切り捨てる国のあり方が問われています。
「黙って死ぬのは嫌だ」
全国空襲被害者連絡協議会(空襲連)は8月7日の総会で救済法実現を強く求めました。超党派の空襲議員連盟による救済法案は、自民党内の抵抗で国会提出すらできません。空襲連会員の石川雅一さん(88)は受忍を強いる国を批判し「このまま黙って死ぬのは嫌だ」と発言しました。その言葉には「人間として認めてほしい」という思いが込められています。
1945年7月7日、静岡県清水市(現静岡市)は米軍の焼夷(しょうい)弾攻撃を受けました。石川さんは母に促され、火の海を家族より先に逃げて1人助かりました。10歳で孤児となった石川さんを祖母が引き取りました。一番つらかったのは親がいないというだけでいじめられたことです。泣くことも笑うことも我慢して暮らす日々でした。祖母は人知れず涙を流していたといいます。
政府が元軍人・軍属に恩給などで補償を続けながら、民間人を差別していることを憤ります。同じ敗戦国のドイツやイタリアは「国家賠償」として空襲被害者を救済しています。「人間として扱われていない。政府は私らが黙って死ねばいいと思っているのか」と悔しさをにじませます。
空襲連共同代表の吉田由美子さん(82)は「国は自ら始めた戦争の被害者をどこまで放置すれば気が済むのか。私たちをばかにしないでほしい」と訴えます。3歳の時、45年3月10日の東京大空襲で孤児となり、預けられた親戚宅で虐待されました。妹は3カ月しか生きられませんでした。「国はまず亡くなった人たちに、大事な命を奪ってしまい申し訳なかったと謝ってほしい」
敵基地攻撃能力保有を進め、軍事費を大幅に拡大し、戦争国家づくりに突き進む岸田文雄政権に、吉田さんは不安と恐怖を感じています。戦争被害にたいする償いに背を向ける政府の姿勢は、侵略戦争や植民地支配の誤りを認めようとしない立場と一体です。吉田さんは「愚かな戦争を二度と繰り返してはならない。その思いで運動を頑張ってきたのに冗談じゃない」と怒りも募らせます。
戦争は絶対にしてはダメ
民間の戦争被害者は、戦争準備を進める岸田政権の姿に「お国のために」という空気をかもしだし、国民に「覚悟」を強いる危険な流れを感じています。戦争中、防空法によって「空襲から逃げるな、火を消せ」と国民は迫られました。その結果、多くの民間人が犠牲となりました。そのような事態の再現を心から恐れています。
「戦争の犠牲は一番弱い者にいく。絶対にしてはいけない」。政府は、心身に負った戦争の傷がいえることのない被害者の言葉に向き合うべきです。戦後80年は目前です。もう時間はありません。








